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カテゴリ:思うこと
母には14歳年の離れた兄がいて(私の伯父)、ごくごく軽い知的障害がある。
温厚な性格だが人とのコミュニケーションが上手くなく、 私が生まれる前に両親を亡くした母は、結婚してもずっと一緒に暮らして世話してきた。 伯父は大学病院の掃除夫として働いていたこともあったが、今から20年ほど前に 体調を崩して以来、ほとんど隠居生活をしていた。 一昨年の10月頃に倒れてからは、どんどん体力がなくなり、 70歳になった去年は介護認定を受け、肺や気管支が弱く、 誤飲の危険から経口チューブの流動食になり、 10月には胃ろう(胃に直接チューブを差し込んでの流動食)になった。 流動食になってからは毎食に2時間かかり、目も離せなくなり、 デイサービスも利用しながら母がつきっきりの介護となった。 もともと痩せている体はますます痩せて、母は養育里親業と介護に追われるようになり、 私も見るに見かねて夏にヘルパ-2級の資格を取り、頻繁に実家へ通うようになった。 母方の親戚は事情でほとんど絶縁状態なので、 母にとって伯父は、夫と子ども以外の唯一の肉親。 金銭的にも余裕のない中、必死に世話してきたのは、一緒に暮らしていたからよくわかる。 年末にその伯父がまた倒れ、救急車で担ぎ込まれて入院し、何度も危なくなりつつ、 なんとかその度に持ち直してきたのだが、昨夜とうとう亡くなってしまった。 夜の11時半頃に母から電話で「危ないみたいなので、できたら来て」と言われて、 夫に子どもをまかせて車をかっ飛ばしたが、死に目には残念ながら会えなかった。 伯父の遺体のそばには、父母と里子のチビタ(14歳)が座っており、 チビタと母は泣いていた。 いつもぼーっとしていて、耳もほとんど聞こえなくて、存在感の薄い伯父だったが、 それでも私が小学生の頃には、よく弟と一緒に新宿まで映画を見に連れて行ってもらったり、 話しかけるとニコニコと嬉しそうに答えてくれたり、 結婚してからは、私の娘たちをかわいがってくれた。 いつも実家に遊びに行くと、ソファに座って水戸黄門や映画をウトウトしながら見ていて、 膝の上には20歳になるネコがいつも丸くなっていた。 あの当たり前の光景が、もう見られないんだなーーー。 ここ2ヶ月の伯父はとにかく苦しそうで、意識があれば痛がって、 なければ朦朧としていて、とにかく辛そうだった。 治る見込みはなく、緩やかにロウソクの火が消えていくように弱っていくのがわかった。 病院の看護士さんたちも本当に良くして下さり、母も毎日通って何時間も付き添っていたが、 転院を促されていて、行く宛もなく、金銭的にも精神的にも辛そうだった。 そんな状況だったので、伯父は亡くなったけど、 あの辛さから解放されて、楽になれのではと思う。 母もやるだけのことはやったので、今は辛くてもたぶん大丈夫だと思う。 そのまま深夜、私は先に実家に帰り、部屋を片付け受け入れの準備をし、 父母と伯父が帰宅してからは、葬儀屋との打ち合わせや細かい手配を相談したりで、 夕方になってやっと自分のうちに帰って来た。 外とはあまり付き合いのない伯父だったので、 葬儀は身内のみでささやかにすることになった。 明日通夜、明後日が葬式。 今日は猛烈に疲れたが、なんだか眠れずPCに向かっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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