お散歩(11月25日)/『金峯山寺』『万葉の道』『吉野宮跡(宮滝遺跡)』『持統天皇行幸の道』『水分神社』。
今年4回目の吉野へ登拝(笑)。どれだけ好きやねんって話だけど、吉野を起点とする大峯山系は超好き♪11月3日に吉野にお参りした時には奥千本での紅葉がちらほらでしたが、わずか20日余りで一気に下千本まで色づいておりました。画像はもちろん金峯山寺。いつもの通り蔵王権現にご挨拶とお参りをして、本日は万葉の道へGO!この万葉の道は名前は綺麗ですが、吉野山に入るための最初の道。つまり最古の道という訳でして、ただの山道という名の古道です(笑)。舗装されておりません、あしからず。 万葉の道の分岐のところに稚児松地蔵がお祀りされています。その分岐が右の画像。右側に行くと上千本へ続くようですが、私は画像左手の道へ。これが、万葉の道。この万葉の道を下ったところに吉野宮跡、つまり当時は吉野宮がありました。吉野宮から吉野山へアクセスできるように先人は道を造ったということです。とっても分かりやすい話であります。また吉野山の反対側に黒滝という地区があるのですが、そこに住んでいる人たちが伊勢詣をする時の参詣道でもあったようです。ただ歩いていて分かったのですが、吉野山からすぐに麓に下りていくのではなく、象山という山が吉野宮の手前にありますので、吉野山から象山の山腹にトラバースした感じで下山していきます。この万葉の道は現代になってつけられた名前だけあって、分岐にはきちんと標識があり、迷子になることはありませんが、片側が谷という部分はありますので、要注意。でも、古道歩きの入門編としては最適な道だと思います。さて、その道中にあるのが、象(さき)の小川と高滝。 右側の画像は知らずして高滝の落ち口を撮っていました。そして、高滝。 ← 滝壺象の小川は「小川」というだけ、沢のように小さな川なのですが、落ち口から滝に変わると想像もつかないような大迫力の滝となります。古代先人たちはここを修行の場としたのだろうなと思いました。高滝から歩いて5分ほどで集落に出会います。更に少し先に行くと見えてくるのが櫻木神社。壬申の乱の前に大海人皇子が大友皇子の軍勢に追われて、ここにある桜の木の根元に隠れて、難を逃れたという話がここでは伝わっています。また、江戸時代には医薬の神や疱瘡神を崇敬し集めて、疱瘡除けのお札を配っていたとか。思わず「大奥かっ」って突っ込んでしまいました(笑)。大奥を観ていて良かったーーー。そうでないとこの時代における疱瘡と聞いてもピンとこなかったかも。更に歩いて行くと目の前に見えたのが吉野川。この対岸はすでに吉野宮です。吉野歴史には吉野宮の復元模型があります。吉野宮は斉明天皇の時代に造設され、持統天皇が拡大、更に聖武天皇が更に拡張し、現在の宮滝地区をほぼ覆う敷地面積を誇ります。しかし、ほぼ民家のために発掘する訳にはいかず、まだまだ全貌が明らかになるのはまだ先のようです。さて、この後は持統天皇が都から吉野宮に通う道、つまり行幸の道を歩きます。全行程30㎞のうちの1/5、約6㎞を今回歩きました。これはほぼ吉野川に沿ったもので現在の県道39号線がまさにそれ。 持統天皇も目にしたであろう中岩の松(左)と夢のわだ(右:象の小川と吉野川の合流点あたり)。ひたすら、都に向かって歩いていると神社なのかお寺なのか、「不動明王」と書かれた扁額の鳥居を発見。境内に入ると、ハ大竜王がお祀りされ、その横には磐座らしい岩がありました。この岩の下部には割れ目があってその中に何かお祀りされているようでしたが、良く見えず。これが不動明王だったのかな? 明らかに神仏習合ですね。てくてくとひたすら都に向かって歩きます。妹背大橋を右手に見たところでその橋を渡って対岸へ。吉野宮と同じ川岸ということになります。が、当時はここに至るまで、吉野宮からは一度対岸に渡らなければ道がなかったのでしょうね。橋の向こうにみえるのが妹山。ここは山丸ごと国の天然記念物となっています。そしてその山の麓にある大名持神社の御神体山でもあります。国の天然記念物になる前の1200年前からすでに信仰により禁足地。もちろん、今も国の天然記念物としても禁足地。ここは山全体が照葉樹の原生林で覆われているのです。 こちらが大名持神社。ここからは対岸に渡らずにそのまま西へ国道から一歩内側の集落沿いをしばらく歩きます。ここが行幸の道の分岐点。ここまでが吉野宮から約6㎞という事になります右側に行けば、芋ヶ峠。都に向かう行幸の道が続きます。私は次の目的地に向かってまだまだ西(画像の左側)を歩きます。そして最後の目的地!吉野町から大淀町に入ってすぐのところにある水分神社。鳥居のすぐ奥に懸造りの建物があります。この懸造りの建物が何に当たるのかリサーチしてくるのが私の任務でありました(笑)。 丁度氏子さんたちがいらっしゃったのでお話を伺ったところ、神楽殿なのだそうです。お祭りの時には3トンもあるふとん太鼓と言われるものをみんなで担いで地区を練り歩くのだとか。また、この神社はもともと吉野町側にあったのですが、豪雨で流されてこちらの地にたどり着いたためこちらにあったご祭神と合祀したとか。国道からそんなに上がったところではないのに、神楽殿のある位置からの眺望が最高でした。という訳で無事に任務も成し遂げこの日のお散歩は終了。久しぶりに3万歩を超えたお散歩となりました。にほんブログ村