職場が変わったので、また新しい人間関係を
築くことになります。
学校で言えば、新学期みたいです(笑)。
思えばその時期、いっつもそれなりに緊張してました。
始めっから打ち解けるの、結構苦手なんで(^^ゞ
そして、いろんなこと、観察してました。
人がどんなふうに「くっついていくか」っていうか...
ありますよね。
始めはある程度の「拮抗関係」にあるというか。
お互い、どんな人なのかな?って、様子見的なとこも
あるじゃないですか(^^ゞ
ある程度、当たり障りのない話で、和やかにやったりして。
でも、話しているうちに、とか、言葉の端々で、
だんだんわかっていくんですよね。
それぞれの人がどういう人か、どういうキャラか...
結局、人間関係っていうのは、時間が経って
気づけば、何だか居心地が良い相手、場所に落ち着いて
いくものなんだから、こういう時期に心配することは
何もないんですけどねぇ、
始めは結構考えるもんです(^^ゞ
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それで、今日、考えていたんですよネ。
その「拮抗関係」から、ぐぐいっと抜け出して、途端に
「個」として認識されるようになる、「決め手」って
一体何なんだろう?って。
何だと思います? (^^?
私今日考えたんですよ。
それって、
「その人らしい感情表現」
なんじゃないかなー、って。
たぶん、「感じの良さ」じゃないんですよ。
感じの良さは、たぶん必要ですよね。
けど、それは「感じの良さ」に過ぎないのであって
それだけがあっても、結局「個」でなくても、誰でもいいというか、
それが、ぐぐいっと人との距離を引き寄せる要素には
ならないのではないかと。
私がいつも、特に人とのコミュニケーションにおいて
隠しがちな、この「自分ならではの感情表現」
これが、その人を「個」として認識するようになる、決め手ではないかと。
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それで、たぶんその感情って、マイナスが含まれていても
いいんだと思うんです。
何かの出来事に対して
「大変ですよねぇ。そうですよねぇ。」
だと、「その人でなくてもいい会話」で終わっちゃうけど
「私これ嫌なんだわ~。どうも書類とか事務的な作業が
苦手なんだよねーっ」
って言葉が出ると
「あ、この人はこんな人なのか」
ってわかって、ぐぐっと近くなったような気がします。
「仕事、大変ですよねぇ~。忙しいですねぇ~、そうですよねぇ~」
って、当たり障りなく同調してると、別に誰でもいいんだけど
「まぁ、確かに忙しいですね~。でも私どっちかっていうと
暇な方が耐えられないタチなんで、結構今楽しんでるんですよね」
ってとこまで出ると、その人の考え方だけでなく、今までの
人生のことまで、ちょっと垣間見えたりする。
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だから、特にこういう新しい時期、私は
「感じの良い人」よりも、
「マイナスでもいいから、その人らしい感情をそのまま出してくれる人」
がいると、何だか「誰でもいい会話」から抜け出して
「個と個」になれたような気がして、すんごくほっとします。
でもなぜか自分では、始めってツイツイ、当たり障りなく
「感じの良さ」だけでいってしまうんですね~(^^ゞ
わかっとるんだから、自分からやればよいのに。
ちょこっと意識してみますわ。