さっき、大好きな曲を聴きながら、歌をうたいながら
(といってもその曲に、歌詞はついてないのだが)
帰り道、夜道を歩いていたのだが、流れ星を見てしまった。
何かすごいやつだった。すっごく明るくて、すぅーっと
落ちてくる。長い時間だったので、消えるまでの時間
(といっても1、2秒かぁ...)流れ星だと思わなかった。
何かちょっと感動してしばし立ち止まった。
緑色にひかる光だった。
自分は上を向いて歩いていたわけではなかったのに、
何で流れ星をみたんだろう。
何であの瞬間だけ、上を向いたのかぁ...
今日はちょっとブルーな日だったので
不思議な気分になった。
奇跡が起こるような善行は何もしていないのに!?(笑)って。
だめでもいいらしい。
いや、いいことをしたから、努力をしたから報われるとか
頑張ったから、気を遣ったから人に好かれるはずだとか、
そういう、原因があるから結果があるべきだという考え方が
そもそも違うのか。
だめなわたしでも、いいことは起こるのかも知れないし
だめな自分だって好いてくれる人はたぶんいる、のかも。
(これは性別問わずだ)
むしろ頑張ってるからうまくいかないってこともあるだろう。
すべてに原因があるはずだと思わないほうがいいのかも知れない。
たぶんうまくいかないとき、原因を探さないと安心できないんだろう。
つまり、事実を事実として、そのまんま無色のまま
「認識」することなんだろうか。
すべての出来事には色がついていなくて、それに色をつけるのは
人間の心であるらしい。
それを教えてくれたのは、今日出会った小林正観さんの本なのだが。
「この世の悩みがゼロになる」 小林正観 著
(この本を教えてくれた、同じ楽天ブログ仲間のぽめママさん、
本当にありがとう!)
すべてのことに原因があると考えるのは、どうも疲れる。
感じの悪い人に出会ったときとか、たまたま運の悪いことが
起こったときでも、自分にありもしない原因を探して心を悩ませる
ことになったりもする。
その反対も同じで、幸運なことに出会ったり、人が親切にしてくれたとき
自分があんな良いことをしたからだとか、逆に何も良いことしてないのに
何で?というのもちょっとひねくれてる。
すべてのことを、ただ事実として、そのまんま「認識する」こととか
理由を探さずに「ありがとう」って、素直に受け止めることとか
良いことも悪いことも、同じこととして、目の前に起こったことを
ただ受け入れられるようになりたいな~。
それってお釈迦様とか、仏教、悟りっていう世界なのかも
知れないけれど、でもたぶん生きるってことに関わっているのだから
敷居とか高くなく、誰でも考えられる問題なんだろう。
ちょっと勉強してみたいと思います。東洋の考え方だしね。
ただし、自分なりのカラーを織り交ぜて、ゆるくね(^^ )