主の恵みは次々と・・
「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは」 詩篇8:4 主人が入院し、それからと言うもの、次々と主は恵みを与え続けてくださっています。 癌入院=高額な医療費 いったいいくらかかるのか、想像すらつきませんでした。 ネットで調べてみると、月々に支払わなければならない医療費は私の思いをはるかに超えていました。後で(約4ヵ月後)には戻ってくると言うものの、それまでは当然は支払わなければなりません。 主人が癌で入院したという事すら、もう自分ではどうする事もできない状態に置かれ、頭が真っ白になり、費用がどうのなど、考える余裕もありませんでした。 乗り越えなければならない事が、山のようにあり、一つ一つのことの中に主の名を呼び求めていく事が精一杯でした。 私はキリストとともに十字架につけられました。 のお言葉通り、私はキリストとともに死んだのですから、わたしはこの死にとどまり 主人の事も、もう自分の心配に対しても、すべての心配に対しても、思い煩うということに対しても、死んだものであるという所にとどまるべき、決意をしました。(すでに死んだという真理にとどまるということから、動かないという決意)もう、あれやこれやと自分でやりくりするという自分にも死んだ。ので、考えません。 必要はそのつど、その日その日に主に聞きながら進んで行こうと・・。 さて、問題の医療費です 実は、今年4月から、高額医療に対する救済として、社会保険事務所にて手続きすればあらかじめ、限度額(年収入によって違う)以上の医療費は支払わなくてもよい制度がスタートしたばかりだったのです。そんな事を何も知リませんでしたが、主人の父が社会保険事務所で高額医療費の返還書類をもらうために行って、知ることができたのです。まるで、私たちのために主が用意していてくださった制度のように思いました。去年だったら、この制度はありませんでしたから、私の入院と重なり、どんな入院費?になっていたでしょう。(でもどちらにしても、主は備えてくださったに違いありませんが)この制度のおかげで、主人の入院治療費は、月々いくら多くても食事込みでだいたい、最低額で80,100+食事代、さらにかかる事があっても多くても月12~13万?を超える請求はないことになります。 主人の悪性リンパ腫は、1年2年掛けて、ゆっくり進行していった癌といわれました。という事は、私が腎臓を悪くしていった時期と、全く同じ時期にあたります。 「夫婦仲良く大病していたんだね~じゃあ召される時も、一緒かもね・・笑」なんて、今日話していました。 私のあざだらけの腕を見た、主人の病院の看護婦さんが、「どうしたの?その腕」と聞かれたので、 私 「透析しているんです」 と答えました。 私 「かれこれ一年になります。」 看護士 「クレアチニン値は?(腎臓の働きを表す数値の事で、正常は0,5~1,5 ) 私 「18ありました。」 看護士 「!!!エッ~~?よく生きていたねェ!!!普通なら死んでるよ!4か5あって も危ないのに!!」 私も本当だったら去年召されていた。しかし、こうして生かされている 主人にも、 「主はすべてを整えてくださった。今度は、あなたが主によって完全に癒されるのを私は見るだけです。」 と。 帰りの車の中で、主の深い深い恵みを知らされ、共におられるという深い臨在を感じ 声を上げて、泣いてしまいました。 主人が重い病気なのではないかと思ったとき、主が一番初めに与えてくださった御言葉です。 「神、自ら「私は決してあなたを棄てない。決してあなたを見捨てるような事はない」 へブル13:5 という御言葉が、さらに私に迫ってきたのです。 この御言葉によって何度も励まされました。 主人が死ぬなら、私もいっそ殺してほしい。。。などと、主に詰め寄るように泣き叫ぶ私に、こんな身勝手な祈りをした私に、主は優しく、このお言葉を語りかけてくださいました。 人とは何者なのでしょう。。。これを顧みてくださるとは。。 歓喜のあまり、主の御前で声を上げて、やはり、泣いてしまいました。 悲しくて泣いてしまうことばかりだったのに、最近は嬉しくて泣いてしまう涙へと主は変えてくださっているのです。主は今日も、もはや私ではなく、キリストが私の内に生きておられるという素晴らしい恵みを味わわせてくださっています。