生存報告&近況
こんにちは、こちらハイメタ。東日本大震災と名付けられた大地震。東北六県ほか数多くの地域に大きな傷跡を残しました。今日は生存報告と現在の状況を書かせていただきます。現在は電気もネットも回復し、水も飲めないながら出るようになりました。食糧も若干不足してはいるものの、不自由はしていません。建物にも大きな被害はなく、無事にすごしています。以下、地震のときの詳細。地震・津波により東北の太平洋側の沿岸が壊滅状態になりました。俺の家は内陸にあったため地震による被害のみで、地震も横揺れだったため食器が割れたり壁に掛けてあったものが落ちたりですみました。それも、地震発生の時間帯のおかげでみんな出かけており、体が不自由な祖父もデイサービスのほうで世話をしてもらっていたためでした。その日のうちに家族とも連絡がとれて、無事は確認できました。しかし、親戚との連絡がとれませんでした。親戚の多くが宮城県、とくに気仙沼にいたため津波の被害が心配でした。のちに連絡をうけ、いとこがいた気仙沼大島と、宮城県沿岸が壊滅状態なことをしりました。いとこの家は津波により一階に水が押し寄せ使い物にならなくなり、べつの親戚の家に泊めてもらっていました。俺の家ではろうそく生活が二日三日つづくなか、母と二人で気仙沼を見に行きました。海に近くなるほどに、道路のわきに車やら流されてきたものが転がっていました。転がってたり積み重なってたり建物につっこんだりしている車一台一台に、まだ遺体が残っている可能性があるとか。親戚に衣類とお米をわたし、高台にある神社から大島と海沿いの町の状況を見に行きました。遠くから見た大島は、煙が上がっており、船から漏れ出した油で海からも出火しているようでした。海沿いの町は、津波の被害で、めちゃくちゃになったというより、きれいに流されていました。建物はすべて壊れ、家の形がかろうじて残っているものが数件あるかないかくらいでした。海はかなり穏やかで、養殖用いかだもなくなり、きれいな状態でした。さっきの親戚の家も壊れており、何か残っていないか探しに行ったら、すでに何者かがものあさりをしていった後でした。家に帰る途中、食べ物を買いに行きましたが、人が殺到していて、カップめんなどはすぐに売り切れていて、慢性的に食糧不足でした。スーパーなどは店の入り口で、売り物を奥から持ってきて棚に足しながら売っていました。盗難防止のためなんだと思います。次の日、行方知れずだった親戚二人のうち、ひとりは見つかりましたもう一人とは先日連絡が取れました。宮城の親戚は大変な状況だとおもいますが、俺の家の生活は安定してきました。しかし、今はみんなの精神状態が不安定になっています。祖母は非常事態に力になれなかったことを悔やんでいるのか、ひどく落ち込んでいるし、母は祖母との諍いにつかれ、父は警備の仕事で疲れています。家の中の空気がかなり気まずいです。これ以上なにもないでほしいです。暗くなってしまうような報告ばかりでしたが、エルりんさんのへのコメ返に代えさせていただきます。俺が岩手県在住であることを覚えていただいたばかりでなく、御心配をいただき、ほんとうにありがとうございました。