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テーマ:心と家族と人間関係(1213)
カテゴリ:ひねもす・毒
さてもさても。
最近、姑に関することはほとんど『しかたがない』で済ましているけど、 済ましきれない時もある。 それは特別こっちのがヒドい!とかそういうわけでなくて、コップに水が 溜まってあふれるような状態で、吐き出したい衝動なんだな。 昨日がちょうど、そんな感じ。 他にも色々なんだかなーと思うことがあったんだけど、溢れたのは『くつした』。 舅の荷物をあれこれ処分しているという話をはじめた姑。 ハァハァソウデスカ、と聞いていたら 「そうなんやけど。 ほら、前にひねもすさんにもらったお父さん(舅)の靴下、 あれ、ひねもすさんのお父さんに持っていってくれへん?!」 と言いだした。 わたしのあげたお舅さんの靴下というのは、何年か前の父の日にあげたもの。 たしか、デイケアに通い始めた頃じゃなかったか。 「新品のまま、お父さん(舅)が大事にとってあったのよ~」 えーと、それおかしくないですか? 舅はもう認知症が始まっていたし、あなたが靴下をおろしてあげれば 良かったんですよね? じっさい、わたし何度か舅が穴のあいた靴下を穿いてるのを、何度か見ましたが? 「新品だからもったいないし」 しかも、舅の父の日にあげたものを、わたしに返して、わたしの実父にあげて と言う、、、なんだか、とっても気分が悪いのですが。 それに。 これがもし、逆の立場で。 新品だからといって、わたしの母のおさがりをわたしが持ってきたら、あなたは 着れますか? このお方、とっても潔癖性で。 なくなった舅のハンカチひとつ、自分で使えない。 こないだまで、部屋も 「お父さん(舅)のニオイがして嫌」と言って、消臭剤を 撒きまくって、お香を焚き続けていた。(ちなみに、お線香ではない) 自分は気持ち悪いけど、他の人は良いでしょ。 というのは、どうなの?と思うんだけど。 世の中には、人の気持ちを考えるのがとても苦手な人っているんやなあーと 改めて思った。 自分に置き換えて考えてみればいいだけなのに、それができない。 そういうことってあるんだね、きっと。 で、二言めには『もったいないから』と言う。 だったら、舅が生きている間に穿かせてあげれば良かったのに。 それか、自分が穿けばいいのに。(重ね履きでもすればいい) その『もったいない』は、姑>靴下>わたし+父、ってことかと思っちゃうんですけど。 まあね。 なにぶん、人の気持ちを考えたり、感じたりすることのできない姑がいう ことなんだから、「ハイハイあざーっす」ってもらって、家に帰って ポイッと捨てときゃ、姑も気が済むんだから、わたしもムキにならずに そうすれば良いんだろうけど。 できないんだよねえ~ニンゲンそこまで出来てへんし。 だから、目の前にいた相方にパスしたょ。 「○○さん穿いたら?」って。 そしたら、相方ちらっと見て、 「サイズは?ちっさいな、ムリ!それに気色悪い」バッサリ。 それを聞いて、姑、なんか怒ったみたいになんやかや言うてはりましたけど、 相方は話はそれっきり返事もせず。 そりゃそうだよねえーとわたしもフォローせずに、新聞を読むのにもどった。 姑にはわからないんだから、しかたがない。 けど、だからってなんでも姑の気持ち良いようにはできひんよなあーと 思う昨日の出来事だった。 どっとはらーい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.09.21 12:22:27
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