哀れな生き物たち 3
今日、お店にまたTがやってきた。 かなり酔っていたようだ。 酔った勢いなのだろうか、また、私に同じ話を蒸し返す。 『ボスの息子たちと上手に付き合う必要はない』と。『家賃払ってまで、今の家に住む必要はない』と。 そして『女のお前が意地とカンパで生きる必要はない』と。 前回のように『一番の裏切り者のあなたにそんなこと言われたくない』などと私は腹立たしい思いをすることはなかったが、反面、無性に悲しくなった。 もちろん営業時間帯であったから涙を流したり、悲壮感を湛えた面持ちで対応することはなく満面の笑みで対応したが、やはり、無性に悲しかった。 時は動いている。そう感じてしまった。 あんなに身なりに気を使い、見栄を張ってでも格好をつけていたT。 今日目の前に居たのは、白髪交じりのボサボサな髪型に作業服。目の下には深い隈を作っていたただの四十半ばを過ぎた中年男。 哀れだ、と思った。 この男もこの男の家族も哀れで仕方なかった。 人を裏切ってでも自分の人生を守った男の末路が目の前に、ただ、あった。 誰のためでもなく、あざ笑うわけでもなく、ただ私は『悲しい』と思った。 人間の一生とはなんなのだろう。 人間の人生とはなんなのだろう。 一回きりの人生の中で本当に守らなければならないものは実は非常に微々たるものなのかもしれない。 そんな微々たるものをそれぞれが死守している。 それがその何気ない一生懸命さが私には愛おしく素晴らしく思える。 私にも少なくとも死守するものがある。 それは他人にとったら取るに足らないものなのかもしれない。 でも私には、私が生きて行くには、どうしても必要なものたち。 私の生きる糧。 私の家族。 見栄も言い訳も綺麗ごとも絶対に踏み込ませない私の自信。 私の プライド。 今流ではない私の生き方。 意地とカンパで守る私の強がりなのかもしれないが。 そこには誰の価値観も必要ない、 私の生き方が 存在する。 Tを許せた私。 それは、哀れむ想い以外の何者でもない。 自分が生きてるんじゃない、生かされているんだということに、Tが早く気付いてくれることを願って止まない。 そして私は死守すべきもののためまた、自分のために『意地とカンパ』で生き続けていこうと思った。 真実一路。 私の人生のテーマ。