ちょうど1週間前の土曜日、娘の学校でノーベル賞受賞者のの小柴先生の講演を
聞いた。 そのときの生徒との質疑応答である。
Q:「私はオーケストラをやっているのであるが、先生は休み
の日は何をやっているのですか」
A:「そうねえ。 僕はね小さい時音楽家になろうと思ってたの。
でも小児麻痺にかかって、右が思うようにならなくなった
の。
だから今は好きな音楽をパソコンに取り込んで休みの日は
ゆっくり横になりながら聞いているの・・・」
Q:「先生はいつから物理学者になろうと思ったのですか」
A:「あのねぇー、僕の話はあまり参考にならないかもしれないな。
さっきも言ったように、僕は音楽家か軍人になろうと思った
の。でもねぇ、陸軍幼年学校を受ける直前に小児麻痺にかか
って断念したんだ。
それから勉強して東京の旧制高校に行ったの。寮の副委員長
やったり、アルバイトに専念して勉強はやらなかったの。
ある時、先生が僕の噂話しているのを偶然盗み聞きしちゃったの。
小柴は全然勉強してないから大学は無試験の文学部に行くしか
ないかな。物理は試験も難しいから無理だろうね・・・・
それを聞いて僕発奮しちゃったの。なんとしても一番難しい
理学部物理学科に入ってやろうと
そのころの僕の寮の部屋はすごく恵まれてたんだ。秀才ぞろい
だったの。だから数学と物理の一番できるやつを捕まえて、
物理学科に行くから俺の家庭教師をやれって言ったの
それから毎日特訓。そのおかげで、東大の物理学科に受かった
わけ。
でも本当にやりたかった学科じゃなかったから、授業はサボって
ばっかり。旧制高校時代はドイツ文学が好きで、原書でよく読ん
でたの。物理は実験は面白くてちゃんと出ていたんだけれど・・・
そんな時、後にノーベル物理学賞を受賞する朝永先生を紹介され
たの。人間に惚れちゃって、よくお酒を飲みに連れて行ってもら
ったんだ。
それで大学院までっ進んじゃったんだ。
どうも僕は理論物理学はあまり好きじゃなかったんだ。そんな僕
を見てて、山之内先生が僕を可愛そうに思ったのだろう、そのころ
新しく入ってきた最新技術を僕に紹介してくれたんだ。イギリスで
発明された原子核乾板。
これは運がよかった。僕に向いていた。富士山の上に乾板を置いて
素粒子を捕らえるんだ。これをあとで分析する。
これをづっと続けてニュートリノに結びついたんだ」
Q:「先生の座右の銘はなんですか」
A:「うーん。そんなのあんまり考えたことないな・・・・・
でも僕は若い研究者によく言うんだ。
将来何が開花するか分からない。
だから、若いうちはひとつのことに決めず、いろいろなことを
経験する必要があるんだ。
わかいうちは、夢のある卵を二つや三つ温めておくんだ。
そうするとそのどれかがきっと孵化するんだ」
Q:「先生の夢はなんですか」
A:「今だって、僕は大きな夢を持っているよ。
でもそれは今は内緒だよ」