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カテゴリ:I love family
市内のジャスコの生け垣。 一体誰のアイデアでこのような植栽がなされているのだろうと思うのです。 季節の花々が それもごく控えめな花が植えられているのですね。 ですので、季節ごとにその生け垣を見るのが楽しみのひとつとなっているのです。 先日娘と一緒にその店舗に参りまして いつもの如く生け垣に目をやったのです。 そうしましたら沈丁花の蕾が大きくふくらみ もう少しで花を咲かせるところでした。 沈丁花には忘れ得ぬ思い出がありまして ひと頃はその姿を目にするのさえ辛いものがございました。 その花咲く姿を落ち着いて見ることが出来るようになりましたのは ここ数年のことなのです。 この「ひよわーるど」を読み返してみますと ちょうど昨年の今頃「弥生 沈丁花」という題にて日記を書いておりました。 ようやく 沈丁花の花のことを文章にできるようになってきたのでした。 ・・店舗内のお手洗いに娘と一緒に行き ふと鏡を見てみましたら その鏡の前に沈丁花の花が飾ってあったのですね。 しかもその花は仄かに咲きそめていたのです。 私は嬉しくなり その花に顔を近づけたのでした。 しかし その花の香りに触れましたとたん 私は言いようのない悲しみに襲われたのです。 ・・・迂闊でした。 人間の記憶と密接に繋がっている感覚はおそらくは視覚ではなく、 もちろん聴覚でもないはずです。 記憶を呼び覚ます感覚は もしかしたら「嗅覚」ではないのかとその時に思いあたったのでした。 沈丁花の香りは 我が子を亡くしたときの私の感情をまざまざとよみがえらせたのです。 あの日の朝も沈丁花の香りがあたりに漂っていました。 そう どこを歩いても。 もしもあの時○○していればあの子は助かったのではないか 私がもっとしっかりしていたらあの子は死なずにすんだのではないか 胸のつぶれるような思いであたりを見回し しかし 景色は目にはうつっていても心に届かないのでした。 誰にも答えようのない問いを繰り返し問い続け あてなく日々を過ごしていたように思います。 ただひとつ その中で光を見出しましたのは 同じく我が子を亡くされた方々のあたたかい言葉によってでした。 ここに 私の悲しみに本当に寄り添ってくれる人がいる。 その方々の前で私は初めて涙を流すことができたのでした。 小学校では毎年様々な行事が行われます。 我が家には小学5年生の娘しかいないのですから その他の学年のこどもたちを必死になって見つめなくともよいはずなのです。 けれど運動会にしましても 音楽発表会にしましても 私はある学年の出番となりますと目を皿のようにして見つめてしまうのです。 気が付けば いるはずのない我が子の姿を探しているのでした。 そしておそらくはあのまま大きくなっていたら こんな面差しではなかったろうかというお子さまを見つめ そのお子さまが一生懸命に走る姿に心の中で声援を送り こけそうになると思わず手をさしのべてしまいそうになる自分がいるのです。 そのお子さまが無事完走し ほっとひと安心している自分に気が付き はっと我に返ります。 先程まで高揚していた自分の気持ちをかなしく 恥ずかしく思うのです。 おもかげ 室生犀星 よその児をながめむとて 何しにこころ慰め得べきものぞ よその子はよその子にして わがおもかげをつたふべきにあらず (中略) みまかりあとかたもなきわが子の いまはいづこにあらむかと思へば とり返しのつかぬことをせし 泣きもえぬことをせしものかな 今、我が家の娘は11歳。 今年の夏で12歳となります。 2番目のその子は 生きていれば 今年小学3年生になっているはずでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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