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ひよきちわーるど

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2008.10.03
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カテゴリ:I love family

10代の頃、自分が将来結婚するなどととは夢にも思っていなかった。
実家の両親だって私は晩婚か、もしくは独りを通すものと思っていた。

弟など「お姉ちゃん、僕の代わりに家を継いでね」と私に告げ
その理由として「お姉ちゃんが嫁に行くわけがない」などと口走り、
私にしばかれたこともある(笑)。



・・・そもそも実家の家族にすらそのように思われていた理由は
ひとえに、この人見知りの性格によるものである。

42にもなって人見知りも何もあったものではないと
そうお思いになる方もいらっしゃるとは思うけれど
でも、お恥ずかしいことではあるけれども、実際にそうなのである。



現に今だって、楽天の知りあいの方にお電話を差し上げる時にも
この上なく緊張し、話す内容を再度頭の中で確認し、
受話器を握りしめながら(人知れず)呻吟しているのである(笑)。

で、お電話を終えて受話器を置いたあとでも
自分がたった今話した内容を再確認し
もしも「あ!私、すごく失礼なこと言っちゃった!」と気付いたときには
果てもなく落ち込み、その夜は遅くまで眠れない。

・・・そういう私の引っ込み思案なところを両親は心配し
おそらくこの娘は生涯嫁がずに独りでいるのだろうと思っていた。
もちろん、私自身もそう思いこんでいた。



しかし、どういうわけだか大学在学中に夫と知りあい
彼の余りに天真爛漫なところに惹かれ
(とは言うものの、私の方から話しかけることなど出来ようはずもなく)
ただ、遠くから、彼のことを見つめることしかできなかった。



夫とは同じクラスであり、そしてまた同じクラブに在籍しており
彼はクラブの部長、私は限りなく幽霊部員に近かった(笑)。

在籍していたのは「児童文化研究部」。
信じ難いほどハードなクラブであり、たちまちのうちに私は挫折したわけである。

何たって地域の子ども会と関わりを持ち、子ども達と一緒に何時間も遊び戯れ
紙芝居を作り、ペープサートを作り、はたまた人形劇を披露し
その幅広い活動に私自身すっかり音を上げてしまったわけである。
第一、身体がもたなかった。

・・だから大学4年生の春の頃、突如、夫に呼び出され
彼と、家の近くの喫茶店にて会うことになった時にも
クラブ活動に全く熱心でない私をおそらくは叱りに来たのだろうと思っていた。




しかし、事はそれから大きく変化していったのである。
いや、変化などという生易しいものではない(笑)。

私にとってみれば驚天動地であった。

詳しくは、数年前に書いたこの日記に書いているけれども
今になって思えば・・・この日を境に
私の人生は大きく変わり始めたのかも知れない、とさえ思う。





平成5年、あれほど結婚することはないであろうと思われていた私が
突然「結婚します」と家族に言い放ち、しかも嫁ぎ先は遠い関西の地。

夫となる人とはデートらしきものもしたことはなく
ましてや喧嘩もしたことはなく
(大学卒業後は5年間、遠距離恋愛でありました)

実家の妹や弟からは「無謀だ」と呆れられ
両親は「言い出したらきかないから」と諦め果て


・・・やはり一応女性でありますので
白無垢やウエディングドレスに憧れてはいたのですけれども
夫の元に嫁げるのであれば、お着物もドレスも何も要らない、と。

そして新婚旅行は是非ともエジプトに・・・と夢を抱いていたのですが
夫と一緒に行けるのであれば
隣町でも近所の公園でも、本当に何処でもよかった(笑)。

ふと気付けば26歳にて夫の元に嫁ぎ
披露宴の席では大学時代の友人達に驚かれ
(夫と私は性格も全くの正反対、しかも共通する趣味も何も無い)

そう、今だって、夫と私との間には何の共通点もない。
辛うじて同じなのは「現住所」くらいのものだろう(笑)。

(私が万葉集の話をしていても、彼は途中で眠りこけているし
 彼がスノーボードの話をしていても、私には意味不明である。)






・・・つまりは 独りで居続ける当初の計画は早々に頓挫、
気がつけば関西在住者となり、夫や娘とともに日々を送っているのである。

子どものことにしても・・・自分自身の身体のことを考えれば
無事に出産を果たすことも子育てをすることもできないかもしれないと思い
(悲しいことではあるが)半分諦めてもいた。


・・・しかし、夫と生活を共にしているうちに
夫の血を受け継ぐ人にどうしても会ってみたくなったのである。

我が子が男の子であれ女の子であれ、ともかくも
夫の血を受け継ぐ、しかも夫にそっくりな人に会ってみたくなってしまった。


もしも 幸運にも我が子を授かった場合
この家の中に、夫のように天真爛漫な人がもう1人増えることになるのである。
それはどんなに楽しいことだろうと
あれこれ想像するうちに嬉しくなってきてしまった。


・・・やがて身ごもり 月満ちて出産当日の朝を迎えることになるのだけれど
陣痛室の余りに殺風景な雰囲気に気押されながら
そして耐え難いほどの痛みに襲われながらも

出産に対する怖ろしさよりも 
夫の血を受け継ぐ人にもうすぐ会えるという嬉しさの方が大きかった。






そして結婚16年目を迎えた現在、
我が家には夫の性質をそのまま受け継いだ娘がいる。

ふと気付けば 夫と娘は同じ顔をしており
ひとつの物事に対して同じような反応をし、
「かっこいいプリンがいい」発言を参照のこと)

夫と娘、2人で協力しあっては
このいたいけなひよこをおちょくる日々である。

つらつら考えあわせれば
この2人に、一体私は何度だまくらかされてきたことだろう。
「サーラ・ムーディ」しかり、 「鳥の舌」しかり、である。

このまま私は彼らにおちょくられ続け
更に分の悪いことには
20年後くらいには彼ら2人の他に、孫達も加わってくるのだろうか。

・・・・冗談ではない(涙)。 




老後は・・・そう、子育てを終え、夫も定年退職した暁には
2人揃って静かな余生を楽しもうと考えている。

夫も自分の好きな絵を描き
そして私は彼の傍らで ちくちくお裁縫をする。
ああ、何と平和な日々であることであろう。

午後にもなれば、テーブルには手作りのお菓子と美味しいお茶。
笑顔で語らいつつ、穏やかな時間を楽しむのである。







しかし、あくまで予定は未定。

そういう穏やかな時間は
「おじいちゃん!おばあちゃん!」というけたたましい孫達の声に掻き消され

「あ!何これ!美味しそう!」という声と共に
テーブルのお菓子もお茶も根こそぎ無くなっていく(笑)。
(もちろん明日あさっての分も)



「おじいちゃん、来週スノーボードに行こうよ」という孫の言葉に
夫は「そ、そうか?」と目を輝かせ
老体に鞭打ちいそいそと準備に取りかかる。

果たしてその1週間後、
私の心配をよそに夫と孫は意気揚々とスキー場に向かい

そしてその日の夜 我が家の玄関には
足首を捻挫しあちこちに痣を作り、果ては鼻血を出しながらでも
それでも、楽しくてたまらぬ様子の祖父と孫とが2人して並ぶのである。






・・・我が家は今年で築5年を迎える。

入居したときには娘が8歳であったから
当然の事ながら、壁や廊下にクレヨンで落書きするような年齢ではない。

そしてまた子どもが女の子1人ということもあり
取り立てて、家の壁が汚れるとか
柱に傷が付いているというようなこともない。
従って、襖も壁紙も入居当時のままである。





しかし、しかしですよ。
・・・これから20年後。

ああ、想像したくないですね(笑)。

物心つくかつかないかの孫達が
クレヨンやマジックを持って所狭しと我が家を駆け回り
え、我が家の壁紙はオフホワイトですのでね
それはもう、彼らにとっては絶好のキャンバスなわけですね。

どんな絵をこの壁紙一杯に描いてくれることでしょう b(T‐T)




今は新築当時とさほど変わらぬ我が家ではありますけれど
20年後、襖は破れ、壁は落書きで一杯になり

オフホワイトのカーテンもいつしか赤や緑のマジックで色鮮やかに変身し
絨毯もお菓子やまんまをこぼしたあとで不思議な模様が付いていることでしょう。

そして廊下にはミニカーを走らせた跡、積み木で遊んだ跡
もう何が何やら、わけのわからぬ状態ともなっていることでしょう。





兵庫は播州地方の皆々さま

これから20年後、初老の夫婦がスーパーの中をば
孫達の名を呼びつつあちこち探し回っていたとしたら
それはおそらくひよきち夫婦であります。

何しろこの夫婦、子育て現役時代にはそんな、
我が子の名を叫びながらスーパーの中を探し回るなんてこと、
少しも経験してなかったのですから。

それはもう、大慌てで孫を捜し続けることでしょう。
そう、2人ともそういうことに全く免疫ありませんのでね(笑)。





・・・穏やかな余生?  片や絵を描き、片やお裁縫?
午後のティータイム?

叶いますものか(笑)。

寝言は、キーボードを叩きながら言ってはいけないのであります。



・・・うふふ、予定はあくまで未定。
一体どんな老後になりますことやら。








・・・確かに、生きていれば
「楽しい頓挫、楽しい挫折」ばかり続くはずもなく

予想もしなかったような出来事が起こり
こんなはずではなかったと辛く悲しい思いをし、

悲しみの余りに夜も寝られず、食事も喉を通らず
たった数ヶ月で10キロ近くも落としてしまう・・・そんなこともあります。

実際に自分がそのようなことを経験して初めて
「食事が喉を通らない」という言葉が決して誇張ではないことを知り
この年齢になるまで そういうことさえ知らずにいた自分を情けなく思ったことも。




おそらくは辛く悲しい挫折の方が圧倒的に多いことも
そしてその挫折から這い出すのに長い時間を必要とすることも
わかってはいることですが・・・・

それでも、夫と娘によって
計画が頓挫することも(場合によっては)有り難いことなのだと
そんなふうに思えるようになってきました。





18歳になったばかりのあの春の日
もしも大学で夫に出逢わなかったら
私の人生は一体どんなふうになっていたのだろうと思うのです。

そして、娘を授からなかったならば
私たち夫婦は 多くのことを学ぶ機会を得られぬまま
年を取っていたことと思うのです。



自分の計画していたこと・・・いえ、「計画」などと大げさなものではないにせよ
朧気ながらでも心の内に描いていたことが叶わなかったとしましても

叶わなかったことで自身の人生がどのように変わっていくか
幸と出るのか、そうでない場合もあるのか
それは様々であるでしょうけれど

今、自分が確かに生きていること
愛する人に出会えたことに心から感謝し、
これからもこの地で生きていたいと思います。





パパへ、そしてみゆきちへ。

こんなママを家族にしてくれて
本当にありがとう。


ママは、あなたたちが大好きだよ。

ずっと、ずっとそばにいるよ。













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Last updated  2015.03.23 12:35:18
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