不思議的乙女少女と白い心の女の子2 『放たれる真白き邪悪』
「いよームナっと来る応仁の乱」「いや、アンタがそれで覚えられるなら良いけども」 ムナってなんだ。新手のステータス異常か。 正しくは『人世むなしい応仁の乱』だ。『意思むなしく』とも言う。年号は語呂で覚えるのが良いとされている。少なくとも、暗記という勉強方法から考えれば最適とも言える。言葉の語呂と言葉の意味は本来覚えるべきそれとは全く関係の無い事では有るが、どうしてか本来覚えるべき事柄を覚える事が出来るという魔法の様な言葉である。連想記憶、というらしい。例えば、蜜柑、猫、リンゴ、ポスト、池、バナナという果物を、前から順に覚えていくとする。6つ程度ならば普通に覚えることが出来るだろうが、まあそこら辺は例という事として無視する。例えば、こう覚える。蜜柑を銜えた猫がリンゴの形をしたポストに引っかかって池に嵌ったら、水面からバナナが顔を出した。意味の分からない、意味の通らない文章ではあるが、これをイメージ化する事で記憶の潤滑を促すという事である。語呂で年号を覚えるのは、イメージ化し易いという利点があるのかもしれない。関係は無いが、電話番号等は、間に棒線を挟む事で3桁と4桁の数字に分け、覚えやすくしているのだとかなんとか。リコとしては、どうにも語呂合わせによる暗記方を好きになれ無いのだが…………(なんだかイラッとしてしまうのである。これはもうただ単に勘にさわるとしかようが無い))それでも、その方法が有用である事は認めざるを得ない。歴史を学ぶに当たって、最も重要な『事実』を勉強するためには、その年代の事件を基礎として、その勉強を発展させていくからである。1467年に応仁の乱が起こった。これはテストには出ない。出ても、重要では無い。厳密に言えば、どちらでも良い。歴史的には重要な事ではあるが、応仁の乱が起こった事を軸として、どんな影響があったか。そこが最も問われることであり、テストに出るのも、そういった、やや外した部分である。だが、軸としてあるからには最も覚えておかなければならない事では間違い無いので、これを手っ取り早く暗記するためには語呂合わせというのは実に良い暗記法だと思う。ともあれ。「石の上に3年。ムナの上に8年」「だからムナってなによ!?」 14で石。67でムナ。それは分かるが、フィーリングで言ってどうする。イメージの仕様が無い。しかも、元となった諺も間違っている。「一生虚しい応仁の乱」「それは言えてるかもしれないけども」 戦争とは虚しいものだ。正義の存在しない歴史的事実に基づく争いなど、フィクションの題材にすらならないほどの虚しさだ。テレビの特番で何かしらの歴史的戦争がピックアップされても、感情移入のために必ず主人公が据えられているものだ。そして、その側が正義であり、だからこそ虚しさは包み隠されてしまうのだが。「14の使徒と67の眷属が繰り広げる応仁の乱」「何その魔法大戦記!? ちょっと視てみたいと思っちゃったじゃないの!! …………っていうか、応仁の乱から離れなさいよ」もういい加減に覚えただろうに。最後のそれは語呂合わせでも何でもないし。「…………学校で無視された5月。大化の改心」「それキャッチフレーズじゃ無いの?」大化の改心のキャッチフレーズとしては全く的外れ…………というよりも全く無関係のフレーズでは有るが。しかも内容が悲しすぎる。応仁の乱から外れてくれたのは良かったが、、時代をかなり逆行してしまっている。そもそも、そこは試験範囲では無いというのに。リコの突っ込みを受けて、ヤカはしばらくパラパラと教科書を開いて、そして、「飽きたよぅ」寝た。コタツ型テーブルの上に広げていた教科書をゆっくりと上に持ち上げて、うがぁという声を上げながら驚くべきスローモーションで寝た。「これが…………人間の限界…………かぁ」「そんなものが人間の限界なら、縄文時代にはとっくに滅んでるわよ」 世界史を視野に入れるなら、きっとメソポタミア文明の辺りで滅んでいる。いや。きっと成立以前に滅んでいる。火を起こす段階で死ぬほど限界を感じるだろう。宗教的に考えるなら、神は人間を作らなかっただろう。あるいはアダムとイブは好奇心に限界を感じて、失楽園は起こらなかっただろう。別の意味で神の不興を買いそうだが。「…………おい、アンタさっきから誰と話したり話さなかったりしてるんだ?」「………………」リコは、背後から声が聞こえた様な気がした。具体的にはアンタ誰と話してるんだと問われた様な気がした。だが、きっと気のせいだろう。この場には自分とヤカの2人しか居ない。だからきっと気のせいだ。肯定文と否定文を繰り返して使う奇妙な少女の声など聞こえるはずも無い。…………もちろん、ただ無視しているだけだが。「ところでさぁ、蒸し殺すって凄い表現だよねぇ」「飽きたんじゃなかったの?」 その語呂合わせはちゃんと覚えているのか。リコは呆れつつも、まあ確かに凄い表現だな、と素直に思う。この語呂合わせは有名だから、小学生でも知っているだろう。倫理委員会だかPTAだとかが、そこら辺の表現に規制をかけなかったのが不思議だ。そんな意味の無い事をつらつらと考えていると、ヤカがゴロゴロし始めた。コタツテーブルの足、その狭い間をゴロゴロとし始めた。 揺れるテーブル。地球は揺れるよ何時までも。「おーい」「………………」流石に無視するのも疲れてきた。というのも、純白の少女はリコの肩に顎を乗せてきたからだ。なんていうか、物理的に重い。 不思議に思った。この純白の少女が人間で無い事も、ただの霊的な存在で無い事も理解できるが、どうしてここまで自分に固執するのか、と。何か、自分に特別な用事でも有るのでは無いだろうか。「…………」言っていたような気がする。そう言えば、この純白の少女はそんな事を言っていたような気がする。ただの妄言だと思っていたので、完全に記憶の角へと追いやっていた。思い出せなくなる領域一歩手前だ。と、すると、その純白の少女がリコの肩から離れて部屋の角の方でいじける体制に入ったのは、これは完全にリコが原因という事になる。だが、さて、一体何の用事があってリコに固執するのだろうか。少なくとも、こんな可愛らしいけど若干鬱陶しい少女が、あるいは普通無い特別な存在と言い換えても良いが、ともあれ、そんな存在が接触を計って来る理由が思い当たらなかった。………………。いや、1つだけあった。「ねぇ。ヤカ。飽きたんならコンビニでジュース買ってきてよ」「なにぃ? 私はリコの奴隷か!」 勢い良く起き上がって、テーブルを叩くヤカだが、「これは命令だぞ一等兵」「はっ! 軍曹殿!!」ほとんどノリだけで生きているヤカは、とても乗せやすい。ピシッと背筋を伸ばして部屋を出て行った。廊下を叩く、行進による規則正しい足音が少し続いた後、玄関を開ける音がした。本当に行ったよアイツ。 ともあれ、それを確認した後、リコは心を引き締めた。「………………ねえ」 部屋の端で恨めしそうにこちらを視ていた少女に、リコは話しかけた。無視するのはもう止めだ。相手にしてもらったのが嬉しかったのか、表情を輝かせた後、しかしそれを隠して口元を引き締めた。「……………………」 意趣返しのつもりなのか、顔を逸らして無視の体裁だ。ヤカ程に恐ろしく長くは無いが、純白のロングは顔を揺らしてもフワリとすらしない。だが、風なども吹いてないのに、身動きとは関係無しに、その髪が揺れる時がある。世界の物理法則からは完全に外れた存在らしい。「さっきはごめんね。許して欲しいな」「貴女の言葉なんて私には届いたり届かなくなかったり聞いてたり聞いて無くなかったりします」それは結局聞こえているという事では無いだろうか。というか何故2回も繰り返した。しかし、これはいけない。完全にむくれてしまっている。心なしか、頬が膨らんでる。とても分かりやすい心の捻れ方だったが、それ故に改めて心を開いてもらうのは難しい気がした。さて、どうしたものだろうか。この家から一番近いコンビニまでは、徒歩10分。ヤカは歩いて行っているだろうから、まあそのくらいだとしても、それまでに話をつけなくてはならない。そうでなくては、わざわざヤカを外へ出した意味が無くなる。ヤカには聞かれたくない話だし、何も無い空間に向かって話しかけているというのは、これはとても危ない絵だ。客観的に視て恐怖すら覚えるほどに危ない人だ。取りあえず髪を引っ張ったら凄い勢いで睨まれた。気を引くことには成功したようだ。女として最低な手段では有るが、緊急事態だ。ごめんなさい。「何をすぅるぅんだと私は捲くし立てたり立てなかったり!!」「いやーごめんごめん」「全世界毛髪キューティクル委員会に訴えますよ! 怖いんですからね会長は!!」「どんな会長なの?」「スキンヘッドのナイスガイです。キューティクルが凄いんですよ。キラキラ、キラキラって」「それキューティクルじゃなくてただの脂だよね」 どんな委員会だそれは。ともあれ、なんとか気は引けたようだ。あまり褒められたやり方はでは無かったが、時間も無いから仕様が無い。でも、自分が髪を引っ張られたらたぶんかなりキレるだろうなあ、怒髪が天を衝いてしまうかもしれない。リコは無責任に思った。「ねえ」「何よ女」 まだ機嫌が悪いらしい。いや、機嫌が悪くなったのは髪を引っ張ったためか。恐らく、髪を引っ張るまでは不貞腐れていただけだ。「一応確認しとくけど、アンタってヤカが視得ないのよね」「ヤカというのは、誰も居ない宙に向かって話しかけていた架空の人物の名前だったりそうじゃなかったりするアレの事? 独り言であそこまで話を発展させる事が出来るなんて一種の才能だと思ったり思わなかったり」「………………」 ああ、やっぱそう視えるんだ、と嘆きそうになる。傍から視ればどう考えても変な人、というのを実践してしまった。そういうのは自分の役目ではなくてヤカの役目では無いのだろうか。…………、実際的に考えれば、存在としてはこの白い少女の方が圧倒的に異端であるため、そこまでへこむ必要は無いだろうが。「…………ん? と、いう事はそれがそうなのか? なるほど、得心したりしなかったり」「? なにがよ」「なんでも有ったり無かったりしたのであった」 何故モノローグ口調なのかは分からないが、一人で勝手に納得してしまっていた。そんな真白の少女を視ながら、リコは心に一粒、水滴を落とした。それは心の平常を確認するための作業だ。平静になるための作業と言い換えても良い。詰まりは、心構えをした。「ねえ、話が有るって言ったけど」 リコがそう切り出すと、少女は眼を細めて微笑んだ。なんだか、雰囲気が少し変化した。「それって、まさか…………ネクロノミコンに関する事じゃないでしょうね?」少女はリコの言葉の1つ1つを受けるたびに、笑みを深くしていった。「ああ…………言った、言った。女、言ったな。それを口にしたな。ネクロノミコンを口にしたな」 ククッ、と少女の表情から言葉が漏れ出ていた。心なしか、少女から出ていた淡い光の輝きが増しているように思えた。光というのは輝かしく、美しく、神々しい印象を与えるが、真白の少女から受けた印象は、むしろ邪悪のそれに近かった。口調すら変わって、少女は先ほどまでとは別人の様な表情で、自らの唇を舐めた。「言語プロテクトが解除された。女、契約の後に、我の支配権はお前に譲渡される」嬉しくて溜まらない。その様な感じで、少女の真白く放たれる邪悪はまた気配を増した。