かんそう
何か気持ちの良い一日でした。すごしやすい感じで。もう少ししたら、コタツを出す事になるのでしょうかね。パソコンを使う時は寒い季節がやってくるのですね。模様替えしてパソコンをコタツで使えるようにしましょうかねえ・・・。さて、21世紀少年の下巻、最終巻を読みました。なんというか、連載で見ていた時とは違う感動が。ともだちの正体をケンヂがポツリとヴァーチャルアトラクションの中で本人に告げるシーン。そこを読んで、もしかして浦沢さんはここを描きたくてこの漫画を描いたんじゃ無いかと思ったりしました。もちろん違うでしょうが、私はそう感じたのです。全ての謎が氷解するとか、ともだちの正体が分かるとか、そういう物語的な伏線などは関係無く、そもそもこのシーンを一番初めに思いついてこの漫画を組み立てていったのではないかと。勝手にそう思い込んで、なんか感動してました。この最終話は賛否両論らしいですが、一番しっくりくる形に収まっている感じがします。最後に正体を明かすというエンディングならば、こうしたキャラをもってくる以外に無い、という以上にちゃんと収まっています。漫画に限らず、物語というものには読み手が創造する部分があってこそ面白い。想像ではなく、創造です。劇中で語られなかった謎や矛盾とも思える箇所を自分なりに解釈して補完する事で、初めてその物語は完成するのだと。そう考えると、作り手が与えられる部分などあまり多くありません。そして、それが物語を読む楽しみでもあるのだと思います。購入した一冊の漫画を、理解できずに面白くないと断ずる事は至極簡単ですが、想像を創造し、自分なりの物語を作る事が出来るから面白いです。誰しも作家であり、誰であっても世界を創る事は可能であり、もちろんそれは作り手の創りだした世界の範疇を逸脱するものでは決して無く、しかし作者の想像を超えた創造を作り出す事すら可能です。何故、ともだちの正体が彼になるのか。明らかになっていない不透明な部分を自分なりに解釈して、この物語をさらなる感動作に仕立て上げる事が、読者としての役割でもあると思います。だからですね。私のともだちよ、実家から全部持って帰ってきなさい。