#277 「不思議」という言葉
管理人から本因坊戦第4局、高尾さんが依田先生を上回った。勝負はともかく、内容がすばらしいと思う。私が感心したといっても説得力はない(笑)。だが武宮先生が感心するような手を連発するような棋士はそうはいないだろう。ところで、いままでは世界戦で勝てない高尾さんが散々叩かれていた。しかし、世界戦で活躍する張栩碁聖、依田先生を七番勝負で巧く料理してしまうに至り、「高尾名人本因坊は強いと言わざるを得ない」的な論調が多い。>張栩碁聖や依田九段に対してこれだけの成績を上げるのだから、>高尾本因坊が世界戦で全然勝てないのが不思議です。>やはり持ち時間というのは影響しているのでしょうか?という記事まで出てきてしまった。「やはり」などと言っているところが泣かせる。だすさんはDAS HAUS の頃から好きな棋士の一人に高尾紳路をあげていた。あどさん曰く>高尾名人本因坊は単に世界戦と相性が悪いとしか言いようがない。>七不思議のひとつである。>時間があろうがなかろうが強い人が勝つのが碁だと思っているので>本当に不思議なことである。「相性が悪い」という言い方も泣かせる。どちらも自然なご感想だと思う。そして、この2件ではともに「不思議」という言葉が使われている。さて、どのようなニュアンスで使われているのだろうか?「不思議」というのは理解を超えているときに使うと思うのだが。別につつくのが本意ではない。私は、こんなふうに考えている。8時間という持ち時間を充分に活かすだけの思考の広さと、底知れぬ深さを備えた棋士が高尾紳路なのだろう。だから高尾さんの強さは七番勝負でこそ発揮される。高尾さんは、相手が思いもしないことまで考えられるという、希有な才能を持っているのではないか。そして、さらに時間を費やし、たくさんの選択肢の中から一番確かな道を選ぶ。しかし、相手はすぐにはそれとは気づかない。だから、投了を考え始める段階になって、「いったいどこで悪くしたんだろう?」と相手は反省を始める。終局してもまだ、「どこでやられたかわからない」...という表情で首をひねったりするときもあった。高尾さんはといえば、相手が気づくずっと前から気づいていたのかもしれない。 「不思議」は、判ってしまうと「不思議」ではなくなる。「不思議な負け方をした」と思ったら、自信は揺らぐだろう。 武宮先生の言葉をひこう。>「黒が意欲的に動いたけど、攻められそうな白が逆に黒を包み込んで、>白が冷静に巧く立ち回ったというかね、>碁盤全体として弱くならないように打ってね、>それで勝った。碁は不思議なものだなと思いますね」武宮先生も「不思議」を使った。武宮先生にとっては、「碁は不思議」、そして「高尾紳路の碁も不思議」なのかもしれない。