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カテゴリ:摂食障害
メンテナンスの時間に間に合うよう
帰路に着くことが出来た。 夕方17時45分の待ち合わせ場所に間に合い 街に到着したが、夜市の最終日であったので物凄く 人が溢れていた。沢山の出店があり、色取り取りの 浴衣を着た可愛い女の子が輝いて見えた。 街に出る事自体久し振りであった為か、人に酔った。 そして驚いた事に、現ゼミ生とOB・OGを合わせて 20人以上の飲み会だったのである。 2回生から4回生の現役生、OB・OGがこんなに 集まっているとは思わなかった。 誰が誰だか殆ど分からない状態で、店に辿り着いた。 小さなイタリアン料理屋を貸し切りにしての 飲み会であった。 改めて感じたのであるが、 人前で食事をすることには、 まだ凄く抵抗がある。 取り敢えず外国の生ビールを続けて飲み、バイキング形式で 様々に好きな料理をお皿に盛って、同期生のいる席に座る。 始めはプチトマトや胡瓜のイタリアンサラダを お皿に盛って少しずつ、ちびちびと食べていた。 しかし、固形物を受け付けない私の胃は、途端に 例えカロリーの低いサラダでも 固形物を胃に留めてはおけない! 吐かねば、吐かねば! と言う指令が脳から下され、直ぐに新しいお皿へ ドリアや薄焼きピッツァ、茄子のトマト煮、パスタ、 ポテトチーズグラタンを盛ってきて、独りでもくもくと 喋らずに食べ、トイレへ行って吐き出した。 「作ってくれた人、ごめんなさい。」という 想いと共に・・・。 余りにも大人数であったし、現役生とは話すタイミングもなく、 一次会は終わった。自然に現役生と、OB・OG・教授に分かれて 二次会に向かった。本当はカラオケでストレス発散したかったので あるが、暗い照明のBARに辿り着いた。 其処では食べ物が出ないので助かった。 BARでは、まずチチを飲んだ。 甘いココナッツミルクの味が何ともいえなかった。 しかしそのBARにはメニューが無く、自分の飲んでみたい 感じのカクテルを伝えると、勝手に作ってくれると言う形の 変わった所であった。私はカシスリキュールを使ったもので 少し変わった甘めのカクテルを飲みたいと伝えた。 すると、カシスを檸檬ジュースで割り檸檬果実を絞ったものが 出された。味は中々美味しかったが、胃の弱い私に檸檬の酸は きつかった。 『胃が痛いなぁ。胃薬飲みたいな。 でも飲むタイミングが見つからないなぁ』 と鈍い胃痛を抱えてぼんやりしているしかなかった。 総じて今日の飲み会は本当に疲れてしまった。 特に気疲れが酷い。私は病気で社会に出られず働いていない。 「今、何処で働いてるんですか?」 と聞かれる度、病気で働けないと言わねばならなくて 自分は『働いてもいない情けない人間だ』 と突きつけられた。二次会にしても、皆バリバリ働いている 人達だったので、話しに付いていけず愛想笑いをしながら 唯々カクテルの入ったグラスを見つめるしかなかった。 哀しかった。私も皆の様に働きたい。 元気になって健康的な悩みや愚痴を持ちつつ、 こうした場で語り合い発散したい・・・。 話に付いて行けない自分が、賑やかになってきたBARの 一席で独り取り残されたような気がして、心苦しかった。 実は家を出るまでお腹を下していて、体は行く事を拒否していた。 哀しく痛い想いをするのが分かっていて、どうして私は 飲み会と言う賑やかな場所に出て行ってしまったのであろう。 気の迷い・・・。それが明暗を分けた。 しかし色々と勉強になったことはある。 健康で、社会に出て働いている人達にとって、 病気で働けない人とは無視して同然の存在であるし、 話も合わないと見做される。実際、同年代の女の子からは 話しかけられなかった。男の子は気を遣ってくれて 色々と話をしてくれたが、付いて行けない自分を感じた。 もうこんな無謀な事をするのは止めよう。 病気が治るまでは、ゆったりと家で静養していよう。 でも、ずっと家にいると腐ってしまいそうなので、 病気を理解してくれる人となら、外出を考えよう。 私はこの健康的な場所にまだ 出るべきではなかったのである。 反省せねばなるまい。 哀しいが、これが現実である。 それを胸に刻み込み、明日からまた自分のペースで 1日1日を過ごしていきたい。 今日の様な無茶で無理な事をしないように気をつけて、 ゆっくりゆったりと、身体を休めると言う仕事を したいと思う。 でも、久し振りにあった教授や同期生の友達が元気そうで それは何より嬉しい事であった事だけは確かである。 お酒は美味しく頂けた。楽しかった事は心に留めておこう。 嫌な事は忘れて、いつか輝いて働けるような人間になれるように 精進していこう・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.06 00:43:28
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