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凍えたココロ

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2007.10.06
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カテゴリ:摂食障害
スーパーにて

レジで精算してもらっている

途中、突然の胃痛に

襲われた。

それは酷い痛みだった。

キリキリと胃から食道にかけて

突っ張るような痛みが走り、

それが脳に突き抜ける感じで

立っているのもやっとであった。

精算を済まし、商品を

袋詰めしている時も

痛みは治まらなかった。

必死になって脂汗を滲ませながら

母に手伝ってもらって

袋詰めを終えた。

リカーショップでも

いつも購入しているものを

カゴに入れて

いつもより早く買い物を済ませた。

家に辿り着き、

スーパーへ行く前にも

胃薬を服用していたが

痛みに耐え切れず、同じ量を

服用した。

家に帰ってきたという安心感も

相俟って、暫くしたら

スッと痛みは無くなった。

母が一緒で良かったと

心から想った。







多分、胃が空っぽだったから

痛みが走ったのであろう。

胃炎や胃潰瘍の症状が

度々出るので、

空腹状態が続くと胃が痛む。

けれども、何を食べたらいいのか

分からない。

固形物が食べられない

私にとって、大きな問題である。

モズクを1カップ、ゆっくり

食べたらどうにか落ち着いた。







いつもより早く目覚めた昼。

お薬の副作用なのか、

ベゲタミンAを服用していなかった頃は

起床後直ぐ

「何か食べたい。食べなければ。」

と想っていたのに、

最近は

「何だか、怠い。何もしたくない。」

という想いの方が強い。

食欲が全く無いのである。

けれども、習慣となってしまっていて

然して食べたくないと想っていても

「時間を潰さなければ・・・。」

というような考えから

過食と嘔吐をしてしまう。







きっと、“意識がある”という状態が

厭なのであろう。


食べている間は、何も考えないで済む。

戻している時も、何も考えていない。

その後、それらの行為に疲れて

少しの間、シャワーを浴びる時間まで

うとうとと眠る。

夜になれば、母が仕事から帰ってきて

独りではなくなる。

安堵感が、広がる。

今はきっと、独りで過酷な現実の中、

意識を保つのが苦痛なのかも知れない。








数ヶ月前までは、

朝型の生活を送っていた。

健康に良いと想っていたけれど、

その頃は、朝から

カクテルを飲むという生活だった。

それも甘いカクテルだったから

身体は浮腫む上に太っていった。

しかし、それよりも

「如何にこの意識を不明瞭にさせるか。」

という事を優先していた。

朝といえば、人々が起きて

学校へ行ったり仕事へ行ったりする

所謂“活動が始まる”時間である。

その間、私は為す術もない状態で

勉強もしない、働いてもいない自分が

酷く憎たらしく、悔しかった。

己を責め続けて、非生産的な

状態で何も努力をしない自分が

大嫌いだと想った。

うつ病が治らない事にも

焦りを感じていて、

“周囲に迷惑や負担ばかりかけている事”

・・・これについては今も変わりないが、

それらの事を考えないようにする為

お酒をあおっていた。







そんな滅茶苦茶な生活では

なくなったけれど、今は

「兎に角、眠っていたい。

 意識があるという状態は辛い。」


という想いが強くて

ベゲタミンを服用している。

朝は、刺激的過ぎる。

本当は、朝を迎えられた事を

喜ぶべきなのであろうが、

現在は、日が暮れていくのを

嬉しく想う。

夜の静けさに、闇の柔らかさに

溶け込めるような気がする。

だが、一体自分はどうして生きているのかと

そういった疑問に、こころは支配され

生きている実感が、湧かない。








カラカラに乾いた

厭世観でいっぱいだった

少女時代。

病気なのに狂う事もなく

堕して逸脱する事も余りなく

ただ、生きてきた。

今は、母の愛を感じ

拠り所にして辛うじて

「命がある限りは、生きねばならないんだろう。」

と考え、生きている。

生きている間に、一体自分は

何を為せるのか、何がしたいのかを

掘り下げて考えたいものである。







シャワーを浴びる際、

私は灯りを付けない。

自分の身体を、その体型を

直視したくないからである。

日中のお酒を止めてから

大分浮腫みが取れて、

お腹周りもすっきりしてきた。

ジーンズもゆるゆるになったので

多分、痩せたのであろう。

それでも、直視できない。

夕闇の中、そういった想いで

シャンプーしていたら、

お祭りで提灯行列を楽しむ

子ども達の声が聞こえてきた。

よく聞き取れなかったが、

皆で発する掛け声は、

何だか陰鬱としたもので

少し怖くなった。

泡だらけだったので灯りを付けたくても

出来なかった。だから

早く立ち去ってくれる事を祈った。

普段から死ぬ事なんて恐れていないのに、

陰鬱な掛け声で恐怖を感じるなんて

余りにも矛盾している感じがして

自嘲的な笑みがこぼれた。

明日、お祭り最終日で

喧嘩神輿など街は盛り上がるのであろう。

人混みの中に入る事は無理なので

ニュースでその様子を観ようと想う。

御神輿を担ぐという

その盛んな、血潮のたぎるような

精神力を、今はただ

羨望の想いで見る事しか出来ない。

だが、いつかは

“普通”に外出できるようになる事を

願って止まない。





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Last updated  2007.10.06 21:40:30
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