|
カテゴリ:摂食障害
摂食障害の厄介な所は、
例え熱が出ていても 例え風邪を引いていても 例え喉が切れて出血していても 例え食欲が失せるほど具合が悪くても 過食嘔吐を止められない事である。 例に漏れず、私は昨日の夕方から体調が 悪く、眩暈が酷かったのにも関わらず、 過食と嘔吐をした。 その時は然して体の具合に気を配って いなかったのであるが、お酒を美味しくないと 感じたので熱を測ってみると、 37.6度あった。平熱が35度台なので、 通りでしんどい筈だと感じた。 自分の身体に関しては楽観的なので、 「そのうち下がるだろう」とお酒を飲み続け その後2度目の過食と嘔吐を行なった。 すると眩暈がより一層酷くなり、もう一度 熱を測ると、38.1度まで上がっていた。 喉も痛くないし、咳も出ない。唯、頭が重かった。 高熱が出ている事は、凄く辛かったのであるが・・・。 しかしそんな中でも過食と嘔吐をしている自分が、 何だか滑稽に思えた。 熱があると確認した時点で、さっさとお薬を服用して 眠れば良いものを、 『1日2度は過食嘔吐せねばならない』 と言う脳の指令の元に、 やらねば気が済まなかったのである。 勿論その後、怒涛の如く苦しみが襲ってきて、 以前病院で処方された鎮痛解熱剤を服用する事によって 事無きを得た。 主治医は、この熱が出ている事を感じられるのは、 良い傾向だと仰った。感じる力も考える力も 出て来たということである。 今までは、体の具合が悪いのは当たり前なのに、 強いお薬によって鈍くして感じないようにしていた。 こうして苦しい時こそ、『甘える』と言う行為が 出来るようになれば、寛解への一歩だという事らしい。 そして主治医の言葉で、改めて気付かされた事がある。 私は今お薬によって喜怒哀楽の感情が生まれてきている。 今までは鎮静状態であったので、怒りも喜びも 感じられなかった。しかし今は、瑣末な事で苛立つ事もあり 攻撃的な言葉を発してしまう時もある。 それは、子どもっぽいものだと捉えられるが、 そのような言葉を発せられる事自体、 『良い意味で甘えている』 と言う事なのである。 病を患っているのであるから、また、今まで甘えて 来られなかったのであるから、甘える事が出来るように ならねばならない。そしてそれこそが 『可能性』 へと繋がるのである。 勿論それは流動的なものであるので、不安が伴う。 だから『希望を持つ事』が必要なのであり、 それが『可能性』へと繋がるのであろう。 一番心に残った主治医の言葉は、 「もっと自分を“よしよし”してあげなきゃ。」 というものであった。 考えてみたら、こんなにも病気で辛い状態になっている 自分を、より一層苛めるような事しかしていなかった。 甘やかすというという訳ではないが、 自分が疲れ果て、うつで沈み込み、過食嘔吐の後 物凄く苦しんでいる状態であるのならば、 自分で“よしよし”してやることも大切だと感じた。 傍に誰もいないときは尚更であろう。 苦しい所を余計に責めても、何も解決できないし、 余計に堕ちていくだけであろう。 とても難しい事だとは感じるが、 『辛くてしんどいのによく1日過ごせたね』 と慰みの言葉を自身にかけても、悪い事ではないと 感じる。 本当ならば、甘えられる人(私の場合は母である)に 背中を撫でてもらえたら、苦しみはより緩和されるかも 知れない。けれどもそれは毎日してもらえる訳ではない。 摂食障害は、何処までも付き纏ってくる厄介な悪魔のようである。 悪魔に攻められた後は、自分だけでも己を抱き締めてやらねば 辛く苦しい事がどんどん山積みになっていく。 毎日辛く苦しく、哀しく心細い事ばかりであるが、 自分で己の心を温かく包み込めたら、 1日の疲労は少し緩和されるであろう。 難しい事であるが、やってみて損は無いであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.02 20:43:53
[摂食障害] カテゴリの最新記事
|