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カテゴリ:摂食障害
徹夜をしてしまうと、疲れきった身体とは逆に
頭は徐々に覚醒していくのは、何故であろう。 微熱のある身体は眠りたいのに、 頭は冴え冴えとして睡眠から遠ざかる。 お薬によって約11時間程 昏々と眠り続けた後、 すっかり疲れは取れていた。 シャワーを浴びて心身をしゃっきりさせて、 ふと外を見ると、雲が夕陽に燃えていて 淡い紫色を呈していた。 暫し、その美しい色を見つめた。 毎日毎日、同じ事を繰り返していると感じるが、 少しずつ何かが変わっていると信じたい。 現に、2ヵ月半前の自分と昨日の自分が 変化しているという事は カウンセリングルームの場で明らかになった。 あの頃は、希死念慮が酷かった。 いつ何時も 『死にたい・消えたい・永遠に眠ってしまいたい』 と考えない日は無かった。 それが今や、それらを考えるよりも 『虚無を感じ、考える事』 に重きを置いている。 些細ではあるが、 『変化した』 と言う事には間違いないであろう。 氷山の一角である 『過食嘔吐という症状』だけを 見つめていると、何も展開しない。 大切なのは海に隠れた部分である。 勿論病症は如何ともし難いものである。 物凄く苦しいものであり、何とかそこから 脱したいと願って止まない気持ちが強い。 けれども、その病症自体は悪い事ではない。 『過食嘔吐』をすることによって得られる ものも、きっとあるから。 まずいのは、その病症だけを見つめることである。 本当はそこに潜む虚無を見て 感じ取らねばならないのであろう。 見つめるだけでは、それに取り込まれてしまい、 苦しみが一層増すだけである。 しかし、感じ取る事・・・そして受け止める事を 進めて行くと、何か得られるものはある。 人の言いなりになるだけでは、 虚無にどっぷりと浸かっている状態である。 そこに自分が介在しないのであるから。 ただ、私は子どものころから大人の言いなり 母の言いなりにならねばならなかった。 そうしないと殴打が飛んでくるからである。 打たれたり蹴られたりするのは、泣く程痛いものである。 だから言う事を聞かねばならなかった。 そして、その内自分の意思等無くなり、 言いなりになるだけのロボットの様になった。 その癖が今も抜けていないのであろう。 だから『虚無』が物凄く大きなものに感じる。 でも今はその頃とは状況が変わった。 母に支えられ、私が母を支えるという関係が 出来上がりつつある。 『共依存』となってしまっては まずい事になってしまうが、 今の所『素直に甘え、甘えられる』 と言った関係が築き上げられつつある。 大切にしたい関係である。 この虚ろなる心を持て余したまま、 ゆっくりと煙草の煙を吸い込む。 そうして紫煙を燻らせている時だけが、 何も考えず、頭を空っぽに出来るのである。 しかし、自分の中の虚無を感じ取る事は 大切な事なのである。そこから逃れるという事は、 『二重の虚無』を呈し、余計に己を苦しめる結果に陥る。 ゆっくりでいい。 ゆるりゆるりと風に任せる様に 己の変化を感じ、母の温かさを胸に留め、 次々と新たに浮かび上がる問題に 対処していけたらと感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.06 20:48:16
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