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カテゴリ:摂食障害
神無月・・・流れ流れてもう今年は
後僅かになった。 日中は雨の所為か寒い位で、 氷を食べていた私の指先は 寒さにかじかみ痺れた。 そしてぽっかり空いた心の穴に 静々と落ちていく感覚を 覚えていた。 この頃、徐々に目が覚める時間が 早くなっている。 いつもと変わりない処方のお薬を 服用して眠っているのであるが、 今まで6時から17時くらいまでゆっくり 眠れていたのに、今は15時には 目覚めてしまう。 起きた後は暫しぼんやりしながら、 ミルクティーを入れて一服する。 そして徐にシャワーを浴びる支度をして ゆっくりと少し熱めのお湯で 身体を温める。丁寧に髪や身体を洗った後は 本当に気分爽快である。 気が付けば虚無に捉われているのであるが、 この一時だけはリラックス出来ている。 その後は只管読書をしている。 「今は虚無に捉われたくない。」 と言う想いから、ストーリーに没頭する。 私は、『所謂恋愛もの』の小説は殆ど読まない。 それよりも人間の醜さ、恐さ、心理などが 細やかに描かれている『サイコサスペンスもの』を 多く読む。小説の登場人物の人間臭さが ありありと描かれているものの方が面白い。 それは、きっと自分を投影しているのであろう。 その世界の中でハラハラドキドキする。 私の中の虚無。 それは常に傍に在るものであるが、 過食を始めた途端に物凄い勢いで 襲い来るものでもある。 只管黙々と食べ物を胃に詰め込んでいく行為。 『虚無』以外の何ものでもない。 そしてぽっかり空いている心の穴を 埋めんばかりに、食べ物を詰め込んでいく。 たった一人の闘いでもある。 しかしこの病症は『叫び』であり、 『阿鼻叫喚の姿』なのであろう。 哀しみ・心細さ・苦しみ・寂しさ・虚しさが 一気に押し寄せてくる。 過食と嘔吐をしている時、呆然と それらの感覚を体験しているのであるが、 心は何処かに行ってしまっていて、 その行為をしている自分だけが、そこに在る。 本当の地獄は、全てが終わった後なのである。 嘔吐を済ませて後片付けも全て終えた後、 一気に押し寄せる上記の心持ち。 それをぐったりした身体と心で 引き受けるのは凄く辛い事でもある。 しかし、今はこうする事でしか生きていけない。 そしてそれらの感情と真正面から向かい合う事で、 様々な事に気付き、苦しみながらも学ぶ。 病気と向き合う事は、生半可な気持ちでは 到底無理である・・・。 でも、そればかりであると心が破綻して しまいそうになる。 だから私は、私なりに苦しい思いを大地に 自然に流せる方法を見つけなければならない。 今は、10月になったこの涼しい風を 身体全体に浴びたり、風の香りを感じたり、 道端に咲く花々を愛でたりしている。 そうしている時は、『虚無』から かけ離れた所に居られる。 また、完璧主義で神経質で自分をきつく縛り上げる 強迫観念からも、逃れていられる。 そんな時間を本当に大切にしたいものである。 大切なのは“こころ”である。 自らの“こころ”を大事にしなければ、 前に進む事も出来ない。けれども、どうしても 自分をきつく律し、何事も完璧に行わねばと言う 想いに駆られる。そんな時は“こころ”を大切に 出来ていない。 『寂しさ・心細さ・哀しさ・苦しさ・虚しさ』で 占拠されている“こころ”・・・。 それを自ら温かく包み込もう。 出来るだけ無理をし過ぎないように、 この毎日の苦しみを少しでも緩和できるように、 そして自分を許せるように、 ゆっくりゆっくりと歩んでいきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.01 20:45:46
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