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カテゴリ:摂食障害
夕陽は沈み、暗くなった道を歩いて
私は過食食材を購入する為 スーパーへ向かう。 家々からは夕餉の匂いが漂い、 木々が茂っている所からは 緑の青い匂いが香ってくる。 家路に急ぐ車が虚しく 横切っていき、 私はこれからの愚行に対して 辟易する。 この前まではあんなに美しかった 満月も、今は溶け始めている。 潮の満ち干、月の満ち欠けを 体感する。 そんな闇に埋もれた空を見上げながら、 自分を少しでも立て直そうとする。 また今日も、薬効が抜けきらないまま 目が覚めて苛々していた。 この苛々は以前なら必ず 過食嘔吐に繋がっていた。 今は、その行為に至る前に少し時間を置き、 色々思考を巡らせるようにしている。 『どうして食べたいと思うのか。』 『何故過食と嘔吐をしたいと思うのか。』 『どうしてこんなに苛々して不安感を抱いているのか。』 『何故苛々や不安感があると過食に繋がるのか。』 答えは一向に見つからないが、 食べ始める前に一度、自分の心に問うてみるのは 悪い事ではない。 今日昼過ぎに目覚めた時、「食べたい!」と 思ったのは、処方薬を全てきちんと服用し、 まだ眠気があるのに目覚めてしまい、 苛々や不安感などの想いが募ったからであろう。 そこで私は、一旦落ち着こうとミルクティを入れて ゆっくりと一服した。 その間も、自問自答を繰り返し、 結局 「今は取り立てて食べようとは思わないな。」 と感じ、また蒲団の中にもぐりこみ 眠る事にした。 最近、何故か起きた途端に 「過食したい、過食嘔吐したい」 と言う想いが高まる事が多くなっている。 寝室で、傍に何か食べ物があったら 寝惚けた頭で何も考えず、直ぐ何か 口にしてしまっているかも知れない。 それをしないでいられるのは、 『哀しい・心細い・辛い・虚しい・不安だ』 と言う気持ちを抱え得られるように なったからかも知れない。 それが夜の過食に生かせない事は、 残念な事である。 昨日のブログの言葉で言えば、 『自分の心に在る“顔なし”と“ハク”を 大切に出来ている時は過食嘔吐に走らなくて済む。』 と言う感じであろうか。 しかし夜は、風邪を引いた人間が咳を自力で抑えられない 様に、また、高熱を自力で下げられない様に、 病症が出てしまうのである。 私はその事実を受け止めて、 だらだらと流さないように、流れないように しっかりと思考を組み立てる一部の部品と していきたいと思っている。 唯でさえ、針の筵に座っているような 生活である。それは自分で自分を 責めているからであろう。 まだまだ自分を許したり、認めたりする事は 容易に出来そうにもない。 しかし少しずつでも前に進めているのではないか と言うほんの少しの希望が、私を生かしている。 いつの間にか、茹だるような暑さを伴う夏を過ぎ、 心落ち着く秋が訪れている。 即ち摂食障害は未だ治る兆しを見せないまま、 病気である年数が1年増えたという事にもなる。 『痩せていなければならない』と言う観念は、 衰えるどころか、凄まじくなってきている。 それを証拠に、固形物は過食嘔吐前提で無いと 口にする事は出来ない。 けれども、進んだり退いたりしながら 治癒への道を歩いている事には変わりない。 中々前に進めないもどかしさや、 後ろに向いて進んでばかりである辛さも感じる。 しかし、そこで焦らない事が一番大事である。 階段も一気に上ってしまったら、落ちるのも早い。 だから、ゆっくりと焦らず、自分のペースで 長い長い階段を確実に一歩ずつ踏み締めて、 治癒への扉に向かって階段を上れたらと 願って止まない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.14 20:58:52
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