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カテゴリ:摂食障害
朝、ゴミ置き場にゴミを置いた後、
帰り道に空を仰いで深呼吸をした。 明けた空はどこまでも高く、 空気は澄んでいて、 新鮮な空気が胸にいっぱい広がるのを 心地良く感じていた。 この季節の晴れた朝は美しい。 暫し空を眺めていたら肌寒さを覚えたので、 暖かい部屋に戻った。 日を追う毎に、就寝時間が遅くなっている。 それは、1回目の過食嘔吐が終わった後 余りにも疲れ過ぎて、1時間ほどうたた寝するから であろうと感じている。 ごろんと横たわり、身体の力を抜いていく。 すると、すぅーっと眠りに引き込まれているのである。 この瞬間がとても心地良い。 TVの音を遠くに聞きながら、うとうとと眠り、 起きた時には、幾分過食と嘔吐で 消耗した力が戻ってきているのである。 夜と朝方に2回の過食嘔吐を行う為、 日中はやらないようにしている。 1回に全身全霊を捧げる為、 物凄く疲れてしまうからである。 以前は、この行為を敵視していた。 この行為の所為で色々なものを犠牲にしている からである。身体へのダメージを始め、 時間がするすると擦り抜けていき、 約2時間程、私にとって空白の時間が 出来てしまうからである。 そして、物凄く苦しい行為である。 だから、避けたい行為なのであった。 しかし今は、過食と嘔吐があるからこそ、 自分を保てている部分を否めなくなってきている。 そして、それによって心の均衡を図っている。 苦しみを昇華させる方法ともなっている。 だから必要なものだとも感じるのである。 過食衝動が湧いてきても、 それを我慢する事は、前向きな様でそうでもない。 只管我慢したり、考えないようにしたりしても、 何も得られるものは無いのである。 だからと言って雪崩れるように即刻その行為に 走ってしまうのも問題であるが、 どういう時に過食衝動が表れるのか、 そしてどうしてその行為をやらねばならないと 感じているのか等自己分析する時間は大切である。 それに、我慢したらしただけ、後々物凄い反動が 訪れる。それはとても激しいものであり、 余計に自分を追い詰め、苦しい事になってしまう。 だから、過食嘔吐を只管我慢する事は 一概に良い事とは言えないのかも知れない。 11月もそろそろ半ばを迎える。 寒さもいつの間にか増してきた。 この時期の空気は、身体にとても心地良い。 スーパーへ行く道々はもう闇に包まれているが、 家々に灯る明かりや、夕餉の匂いが漂うのを 全身で受け止めていると、何となく懐かしい 気分になるのである。 家庭によってそれぞれの幸せがあるだろうし、 悩みもあるだろう。 でもきっと、夕飯を家族皆で囲み 談笑しながら食べると言う行為は、 私の憧れである温かいものであろう。 子どもの頃から家族全員揃って食事をする 習慣が無かった為、羨ましく想うのである。 また、摂食障害を患った事で、 余計にその温かい団欒の風景からは 掛け離れてしまった様な感じは否めない。 毎日、私は葛藤している。 『過食したい・・・でもしたくない』 『ゆったりしていたい・・・でも何かしなければ』 『過食嘔吐なんてうんざりだ・・・でもやらねばならない』 拮抗する想いに、辟易してしまう。 そして疲れるのである。 自責の念に駆られ、自分のあらゆる想いという 鎖で雁字搦めにされて、身動きが取れない。 けれども、生きていく事はやめないでいたいとも想う。 こうして生きていられるのは、偏に母のお陰である。 私1人では、毎日の苦しみに耐え切れず、 命を絶っていたかもしれない。 それ程までに、『過食嘔吐』は辛く苦しいものなのである。 胃の限界ギリギリになるまで食べ物を詰め込み、 排出する行為は、一言では言い表せない程の 複雑な想いが絡み合っている。 この行為で幾分救われている反面、苦々しい想いも 溢れ出ている。 しかしこれは、誰にも助けられる訳は無く、 自分の努力が一番必要なものなのだと考える。 その行為に及んでいる時間以外は割と穏やかに 過ごせているのは、静かな環境の中、 ぼんやりしたりうたた寝をしたり微睡みを 大切にしているからであろうと感じる。 それにはお薬の力が必要ではあるが・・・。 何れにせよ、これ以上自分を責め抜く事は止めて、 心穏やかに過ごせるように努力したいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.13 20:42:42
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