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カテゴリ:摂食障害
祖父母と楽しい時間を過ごせた
余韻が残っていて、テンションが 下がらず、中々眠りに就けなかった。 けれども就薬が効いて来る頃、 意識は静かに深く深く落ちて行った。 断眠も無くぐっすりと眠り、 起きた頃にはもう外は薄暗かった。 でも温かい余韻の残ったこころは、 とても落ち着いていて 想い出すと自然と笑みが零れた。 そしてシャワーを浴びて念入りに 全身を綺麗にして、凄くさっぱりした。 窓の外を見ればもう真っ暗で、 車のヘッドライトが闇を裂いて 突き抜けるように走っていた。 そして過食食材を買うべく、 冷たい空気の纏う夜空の下、 てくてくと歩いていった。 買い物を済ませて母と合流し、 一緒に酒屋へ行くのがいつもの習慣である。 ポイントカードを共有しているからである。 すると明日はボジョ○ー・ヌーヴォーの解禁らしく 準備が始められていた。 すっかり馴染みになった店員さんと 挨拶をしたり会話をしたりするので 「買ってみて下さいね」と言われた。 けれども私は大学生の時に、 ワインでODをして病院に運ばれ 入院した事がある為、全くワインを 受け付けない身体になってしまっている。 なので「ワインは飲めないんですよ~」と さらりと流した。 美味しくワインを飲める人が少し羨ましい。 閑話休題。 昨日の電話診察で、新たに気付いた事がある。 『痩せ願望は唯の言い訳に過ぎないのではないか』 と言う事である。 私は毎日過食嘔吐を欠かさない。 1口でも食べたら太ってしまうと言う恐怖と 嘔吐する事によって自分の中の 汚い部分まで一緒に吐き出せている感覚も あると想っている。 そして『過食』という異常な食べ方を 見られたくないが為に、孤食になっている。 つまり“会食拒否”状態にある。 そうして『食べる』と言う事を 自分の思うが侭にしている。 要するに『痩せ願望』とは言い訳であり 私は、自分で自分をコントロールしたり、 支配下に置き続けたいと想っているのである。 子どもの頃から大人に偏った支配をされ続け、 それを逃れる為にダイエットをして 自分の身体を自分の支配下に置いた。 そして自分自身を過食嘔吐と言う形で コントロールしている事に気付いたのである。 勿論、“痩せていなければならない”という 強迫観念がある事は否めない。 それよりも、やはり『支配欲』の方が 強いのかもしれない。 暴走してしまう自分を持て余して苦しむよりも、 自分をコントロールしていたいと想ってしまう。 だから摂食障害と強迫観念は切っても切れない 関係があり、強い結びつきがあるのであろう。 また一段と深く、自分のこころの奥底を覗いた気がする。 『支配欲』や『己へのコントロール』が無くならない限り、 『摂食障害』の治癒も見込めないであろう。 けれども、私は痩せている身体にアイデンティティを 見出しており、太っていた頃の自分を憎んでいる。 言い換えれば、“大人の支配下にあった自分”が 凄く嫌なのである。そしてそれに対して恐怖感も抱く。 太っていた為に嫌がらせをされたり、陰口を叩かれた 苦い過去もある。だから太っている自分は即ち駄目な自分とも 置き換えられるであろう。 上記に述べた観念を取り除けない限りは、 支配欲もコントロールも無くならないであろう。 今はまだ、自分がどうなりたいかも分からない。 唯、摂食障害は辛く、苦しく、哀しく、寂しく、虚しい事は 言うまでも無い事実である。 どうしたら良いのか分からなくなってしまうが、 それはゆっくりと時間を経ていく中で また新たな発見があるかも知れないし、 様々な体験で考え方が変わるかも知れない。 だから焦る事だけは避けて、ゆっくりと自分のペースで 落ち着いていられたらと想う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.15 20:50:31
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