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カテゴリ:摂食障害
朝からぽつりぽつりと雨粒が
滴っていた。 風も強く、ごみ出しの為外に出た時 冬の空気を感じた。 いつの間にか秋は終わるし、 あっという間に凍えそうな冬が 始まっている。 1日の中で唯一外出をするのは 過食食材を購入する為に スーパーへ行く時だけである。 通り道、大きな家にずっしりと 生えている柿の木の枝には、 たわわにオレンジ色の実が生っている。 スーパーに隣接している花屋では、 目立つ所に色づいた紅葉の盆栽が 置かれており、美しい。 そして、ポインセチアの真っ赤な色は 誇らしげでさえある。 しかし、スーパーに一歩入った途端、 私は半ば解離状態になる。 過食と嘔吐をする為の 半額惣菜を色々な条件に照らし合わせて 次々とカゴに入れていく行為は、 物凄い虚しさと同時に苦しみも感じるからである。 それでも携帯電話を片手に 電卓機能で値段を計算しながら、 なるべく低価格で抑えようと 必死になっている。 客観的に自分を見つめると、 酷く滑稽な感じが否めない。 昨日今日とぐっすり眠った事で、 大分体力も回復してきた。 発泡酒も美味しく飲めるし、 煙草をゆっくり吸うと落ち着く。 過食と嘔吐をしている時以外の 時間は、比較的穏やかに過ごせている。 けれども辛く、苦しく、哀しく、虚しい事には 変わりがない。 そして私は頑張れなくなる。 「なんて情けないんだろう!」と 自分を罵りたくなるが、 もうこれ以上前に向いて歩けない自分を それがあるがままの自分として 受け容れるしかないのであろう。 『私はどうしてこんなにも痩せたがっているのであろう。』 これについては、カウンセリングの中でも 話し合った事である。 先ず最初に浮かぶ想いは、 『大人からの間違った“支配”から逃れ、 自分の心身を自分のものにする為・・・。』 と言うものである。 また、私自身太った身体に辟易していた。 細い体型の人に物凄く羨む気持ちがあった。 一寸した事で“折れてしまいそうな身体”を 欲していた。 そしてぽっちゃりしていた体型の所為で、 どんなに胃痛や風邪で苦しんでいても、 大したことが無いものの様に扱われた。 その上、その頃の体型を想い出すと、 同時にその頃味わった精神的辛苦が 甦ってくるのである。 両親の激しい喧嘩、担任教師からの 陰湿な嫌がらせ・体罰、 父方の親戚中に母が苛められ、 罵声を浴びせられ追い詰められていた その母の姿の事。 太っていた身体であった自分には 辛い事ばかりであった。 そしてあり得ないとは分かっていても、 太った身体に戻ったら、またその時の 物凄い辛苦がありありと溢れかえるのでは ないかという恐怖さえある。 しかし、痩せた身体を維持する為に、 重くて苦しいだけの病気になってしまった。 摂食障害はこころの病気の中で 死亡率がとても高いものである。 なのに、太る位ならば病気であっても痩せていたいと 想ってしまう。これが認知の歪みなのであろう。 私には父から愛情をもらった覚えなど無い。 父はまるで子どもの様な大人だったからである。 馬鹿馬鹿しい事でむきになり、 「誰のお陰で飯が食えると思っているんだ」 と、何とかの一つ覚えの様に言っていた。 それも子どもの私に向かって・・・。 要するに、『太った身体』はその頃に受けた 様々な屈辱的な事を思い起こさせるのである。 だから、物凄く『痩せた身体』に拘るのかも知れない。 『痩せる事・太る事』に対する認知の歪みは、 今に始まった事ではない。だからそれを正す為に カウンセリングを受け、診察を受けているのである。 歯車が一度噛み合わなくなったら、他の部分まで 狂ってきてしまう。 今の所、『過食と嘔吐』で精神の均衡を図っている部分が とても大きい。その行為をしている時間だけは 頭の中が空白になり、あらゆる溢れ出でる辛い想いが 一時消えていてくれる。 勿論、終わった後はまた元通りになってしまうのであるが・・・。 それでも私は、1日1日を大切にして、 足跡を残し、軌跡や軌道を作っていきたいと 考えている。 唯、焦り過ぎず無理をし過ぎない事だけは 念頭に置いておきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.23 21:02:04
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