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カテゴリ:摂食障害
日毎に寒くなっていく。
今日は一層寒く感じられた。 そろそろダウンジャケットを 着てもいい頃かもしれない。 そんな寒さの中、植物は真っ直ぐに 伸び伸びと生き延びようとしており、 力強さを感じる。 空を見上げれば月が私を見ていて、 辺りに淡い影を落としていた。 澄んだ空に星が輝き、 小学生の頃勉強した星座が いくつか見えた。 寒さで背筋が曲がりそうであったが、 しゃっきりとして、一歩一歩を 確実に踏みしめながら目線を上げて 歩いてスーパーへ向かった。 この頃、逆流性食道炎の症状が酷い。 これは毎日の過食嘔吐が原因である。 飲み物でさえもあがってきて、 噴門の辺りが熱くなる。 摂食障害を患って年数が長いので、 今は身体を傾けただけで嘔吐できて しまうので、その所為である事は否めない。 また、身体のあちらこちらに不具合がある。 筋力も落ちてきているし、体力も無い。 身体がぼろぼろになっても、まだまだ 「もっと痩せねばならない」 という想いは全く消えない。 それほどこの病気は根深いものなのであろう。 今の所は、1日2回の過食嘔吐で済んでいる。 でも、1回1回全力を尽くす為に、 物凄く疲れてしまう。 こんな不毛な事に残り少ない体力を酷使して、 そこまでして苦しく辛い事を続けているのだと想うと、 自分に呆れてしまう。 だが、そのお陰で救われている部分があるのも否めない。 食べ物を無駄にしているのは事実であるが、 私はこの食べ物のお陰で救われている。 過去の傷や辛苦、虚しさ・哀しさ・心細さが 症状のお陰で一時昇華されていく。 そしてその後の自分への慰みが大切である。 私にとって、それは観○ありさである。 小学生の頃、親の激しい喧嘩・・・特に父が一方的に 母を詰り、テーブルをバンバン叩いて脅し、 怒鳴り散らしている姿を毎日見ていた。 そんな心細い時、TVで『放課後』という ドラマが放送されていた。内容は高校生の男女2人の身体が 事故によって入れ替わる、全5回のドラマである。 1階で酷い喧嘩が繰り広げられていても、 2階の寝室でこのドラマを見ている時だけが 私の癒しであり慰みであり、救いであった。 それから14年、ずっと彼女のファンでいる。 飽きっぽい私にとっては不思議な事である。 その後、両親の離婚に際して大人の話し合いがあり、 私はその内容の意味を全て理解していた。 親戚の「まだあなたは子どもだから分からないよね」 という言葉は的外れであったが、 知らない振り、解らない振りをしていた方が 彼ら大人に取って都合がいい事を悟り、 適当に言葉を濁した。 でも全て知っていた。父方の親戚みんなが 一方的に電話で母を責めていた事、 1人、母が泣いていた事、 父方の親戚の汚さ・・・ 私はそれを感じる度に枕を濡らした。 そういった経過から、私は思春期を 全て母の為、妹弟の為に注ぎ込んだ。 そのような事があったから、私は 昨日綴った様に思春期の前・・・まだ平和だった 頃の自分でいたいのかも知れない。 女性らしい身体の膨らみなど要らない。 棒の様な小学生体型を欲している。 だから、自分の身体に嫌悪感を覚える。 私の主治医の見解では、全てに失望していたら 病気にすらなっていないと言う。希望や可能性を信じて いるからこそ、そこに葛藤があり病気を発症するのである。 それはより良く生きたい希望であったり、なりたい自分に 向かいたいけれど、どうしても道を外れてしまう事実が あったりする事が、病症を生み出しているのであろう。 つまり、物凄く苦しい病症に葛藤しながらも、 いつも心は『なりたい自分になる為』にうずうずしている 状態なのかも知れない。 そしてまた、どの人にも平等に“可能性”があり “希望”がある。私はそれらを諦めて捨てる事無く、 俯いたままの頭を偶には上げて、 視野を広げていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.02 20:41:48
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