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カテゴリ:摂食障害
いつものように夜空の下を
背筋を伸ばしてゆっくり、 てくてくと歩いていた。 空を見上げれば星が輝いていて、 澄んだ夜空が美しく想えた。 近所の歯科兼住宅では クリスマスイルミネーションが きらきらと光っていて、 それは少し派手ではあるが、 季節というものを感じられる。 一瞬煌びやかに装飾されている そのイルミネーションに見惚れた。 ちょっとこころが疲れているのか、 また軽い解離状態に陥る事が多くなった。 自分のやっている事を半歩後ろで 見つめているような感じで、 “自分は自分”という感覚が薄れている といった状態なのである。 スーパーで半額惣菜をカゴに入れる時も、 精算する時も、自分といった感覚が薄い。 それは家でも同じである。 過食をしている自分を半歩下がって その状態を感じていたり、 嘔吐するのもなんだか他人事のようである。 これはきっと、 『自分がやっている醜い事を受け容れたくない』 と言った考えが駆け巡っているからであろう。 過食と嘔吐は毎日2回欠かさずやっているが、 いつまで経ってもこの苦しさに慣れる事なんてない。 苦しく辛い事は解っていても、やらないではいられない。 全てが終わった後、物凄い脱力感と 虚無感に襲われる。 私はそれが過ぎ去るのを、身体を横たえて 只管待つしかない。 『どうして過食嘔吐しないではいられないんだろう』 といつも自問自答するが、 これと言ったピンと来る答えは 見つからない。 けれども、この症状のお陰で 食べ物のお陰で、こころが救われている事は 確かである。脳がこころがオーバーヒート し続けるのを止めてくれる。 過食と嘔吐の時は無我夢中であるが、 終わった後は、落ち着いている。 少しうとうと微睡む事も出来る。 私にとって過食と嘔吐は ある意味精神安定の作用も 持っているのかも知れない。 そして、私はカクテルを創るのが好きである。 基本的に使うリキュールやスピリッツは 変わらないが、調合に変化を与えて 毎日微妙に味の違うカクテルを頂く。 シェイカーを振る回数も、 その日の気分で決める。 これは唯一の楽しみであると言える。 そして、カウンセラーも 「そうして能動的に楽しみを見つけられて いるのは評価できる事なんですよ。」 と仰る。そう言って頂けると、 何だか嬉しくなる。 毎日親不孝と言うか、心配や負担を母に掛け通しで 申し訳ない気持ちで一杯の毎日であるが、 私が少しでも生き生きとして 何かを楽しむ事が、母の喜びにも繋がるのであろう。 私も、母が孫と会ったり恋人と会ったりして 充実感に浸っている姿を見ると、嬉しくなるものである。 この頃はずっと、日中に過食衝動が 襲ってくる事は無くなった。 お腹が空いていても、何も食べないでいる事が 心地良いし、それを我慢するのが 自分の為だとも感じられる。 何故なら1口でも食べてしまったら 即過食に繋がってしまうからである。 唯、その反動で夜には爆発でもしたように 過食嘔吐地獄が待っているのであるが・・・。 けれどもそれに因って救われている事は 自覚していたいものである。 毎日、代わり映えの無い日々を 過ごしている様で、ほんの少しずつ変化が ある事をブログを読み返す事で実感できる。 去年の今頃は相当荒んでいたし、 自分は何処に向かっているのか、何をすればいいのか 解らないパニックの毎日であった。 過食嘔吐をする自分に自己嫌悪の念だけを覚え、 いつも「死にたい。消えたい。居なくなってしまいたい。」と 考えていた。しかし、母との交流が増え、 会話が楽しいものになり、 時に2人でお馬鹿な事を話して大笑いして こころが満たされているのをひしひしと感じる。 私に出来るのは、感謝の気持ちを常に忘れず、 母と2人思い遣り合いながら 多少もがき苦しんでも、ゆっくりと 過ごしていく事ぐらいであろうか。 それすらも難しい時もあるが、 それはゆっくりとたくさん睡眠を摂り、 穏やかに過ごせるよう深呼吸をしたい。 長閑な1日を送れるように・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.10 20:40:59
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