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カテゴリ:うつ
晴れていれば、今日は流れ星が
沢山見える麗しい夜であったのであろう。 『ふたご座流星群』・・・。 私は流れ星を2回しか見た事がない。 雨雲厚く、大粒の雫が滴り落ちる こんな夜は気を滅入らすのに おあつらえ向きである。 ただ、湿気を含んだ雨の匂いが とても懐かしく、心地良い。 昨日から豆乳を少しずつ 飲むようにしている。 本当はお豆腐を“食べて”栄養を摂る のが一番なのかもしれない。 けれども今の弱った私には、 その勇気が出ない。 ふと気付いた事は、過食と嘔吐が 時間潰しにもなっているというものである。 何も考えたくない、何もしたくない、 時間だけが余って有意義に使う能力も無い・・・。 そこで過食嘔吐をすると、 2時間は潰れる。厭な事も頭から消えて、 只管食べ続けている自分。 客観的に見ると、きっと痛々しい姿なのであろう。 私がそこで努力せねばならないのは、 『ぼーっとする時間を大切にする事』 である。何か行動する事無く、 ぼんやりとして身体の力を抜き、 リラックスする時間。 これがきっと大切なのであろうと感じる。 しかし、少し最近うつ病の症状が強く 出ている部分が否めない。 気が付いたら『死ぬ事・命絶える事』について 想いを馳せている。 余り良い状態とは言えない。 ずっとずっと、“逃げたい”と考えている。 いつの頃からか・・・気が付けば 「こんな所には居られない。逃げなきゃ。」 と考えている自分が居た。 小学校で授業を受けている時も、 大学で講義を聴いている時も。 実際逃げたのは中学生の時だけであった。 私は、中学3年生の約1年間 『不登校』となった。 出席番号や成績の順で序列が付けられ、 全校集会では有無を言わせず整列させられ、 少しでも一定の序列からはみ出すと叱責を受ける。 ひとつの記号でしかなかった自分が人間扱い されていない様で辛かった。 それほど心が狭かったのだろうと 今は感じられる。 高校では「自分は自分」と 自己を確立できて、礼拝で列に並ばされようと、 出席番号を付けられようと平気だったからである。 そこで、逃げていた中学3年生の時期、 それは地獄でもあった。 学校に行かない、行けない事を母が猛烈に 怒ったからである。その怒りは激しかった。 学校へ行く時間が近づくと具合が悪くなる私に 容赦無く、殴ったり背中を蹴ったりしてまで 学校へ向かわせようとした。 それは摂食障害を発症する少し前の事であった。 学校での苦痛、家で胃が痛くなる程の切迫感。 そういう状態に置かれた自分が大嫌いだった。 そんな自分を変えようと、ダイエットに 踏み切ったのかも知れない。 それが後々余計に物凄く苦しむ事になる 病気のきっかけとなる事も知らずに・・・。 閑話休題。 上述したように、苦しいことがあったり 母との関係も最悪な時期もあったりしたが、 今は随分落ち着いている。 それだけでも喜ばしい事なのであろう。 感謝すべき事でもある。 助け合いながら、今日を生き明日を迎える。 当たり前の事がとても大切なものに感じられる。 この感覚は決して忘れないでいたい。 過去にはここにも綴れないような辛苦が沢山あった けれども、今というこの時間を大切にする事で どうにか『生』を肯定できている。 一旦落ち込んでしまうと、『死』について深く掘り下げて 考え、全てが虚無となってしまうのは考え物である。 『何故私は産まれてきてしまったのか。』 『何故私は苦しんでまで愚かに生きているのか。』 『何故私は迷惑を撒き散らしてまで生きなければならないのか。』 挙げていくとキリが無い。 夜空を仰いでも冷たい雨粒ばかりが顔を打つ そんな夜は、温かい飲み物をゆっくり飲んで リラックス出来る環境を整えたい。 病状が悪化しようとも、私に自殺は赦されない。 どんなに苦しくても、辛くても、哀しくても、虚しくても、 私は生きられる限界まで生き延びたいと想う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.14 20:47:41
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