|
カテゴリ:摂食障害
案の定、お蒲団に入ると 「食べたい!食べたい!!」 と言う気持ちがむくむくと 胸の中で膨張し始めて、 気付くと柔らかい御煎餅を 口にしていた。 最近、お薬を調整するのが 困難になってきている。 早い時間に眠れば、 このような事で悩まないで済むであろう。 しかし、私はどうしても 食べたくない・・・過食したくないと 言った想いが強くあり、 惰性で行なっている朝の過食と嘔吐を どうしても遅い時間にしてしまうのである。 朝、1回目の食事は、 何だか物足りなく感じている。 もう胃がパンパンでこれ以上食べられない と言う程詰め込み、苦しみながら 排出していると言うのに、 それらが短時間で終わってしまう為か、 ぐったり疲れても 何だか不完全燃焼みたいな感じが 否めないのである。 その上、睡眠障害もある為 寝付く事が難しい。 だからまた、食べ始めてしまうのであろう。 しかし、これらの事は 私が、近所のスーパーへ行く時間までに 起きねばならないと言った 強迫観念からきているものである。 そしてやっとそのスーパーの隣に 新しくリカーショップも開店したので、 母もそこでビールを買う事ができる。 いつもコンビニで買っていたら 値段が元値である為に高くついてしまい 小言がもれるのである。 私はそれが自分の所為だと己を 責めてしまい、悪循環に陥る。 これは段々と『母が恐い』と言う 昔からの想いに直面しつつある と言う事でもある。 そしてそれは、母の中の“顔なし”を 受け容れる事にも繋がる。 “顔なし”は、何も摂食障害を罹患している人達だけに 存在するものではなくて、誰のこころの中にも 住み着いている。 自分の中にいる“顔なし”を認められたら 応用問題として、母の中にいる“顔なし”も 感じる事が出来るのである。 これはとても大切にしなければならない。 以前にも記したが、 弱さに対して自覚的である事が大人 なのである。自覚していたら、 人にも優しく出来る。言い換えれば、 弱さに対して自覚が無い人は子ども であり、無謀な事も仕出かす。 人間の弱さを認識できる事が“強さ” なのである。 前回の電話診察時、私は 「もう疲れてしまったから死んでしまいたい」 と弱音を吐いた。 私が死んでしまったら家族が哀しむ事は 充分、痛いほど分かっているが、 色々な事があり過ぎて、自分の抱える問題も 辛過ぎて、ほとほと疲れてしまっていたのである。 しかし主治医は、否定する事なく 「疲れたから死にたいと逃げたくなる事は誰にでも ある事なんだよ。本当に本当に疲れたら、死にたくなる気持ちが 湧き出るのは自然な事だよ。」 と仰った。 時に人は「疲れた」と漏らす人に対し 「弱いんだよ」 と言う人も居るが、それは間違っていると感じる。 また、妹の力になれなくて悔しいと伝えたら、 それは『役割』に生きている事であり、 傲慢だとも仰っていた。 耳に痛い言葉であった。 一番こころに残った主治医の言葉は、 「自殺に対して、1人の力ではどうする事も 出来ないんだよ。 1人1人のラインが大切であり、それが ネットになって自殺しようとする人を 支える事ができるんだよ」 と言うものである。 何もかも、自分の力1つで出来ると想っては ならない。周囲のみんなの力が合わさってこそ、 自殺しようとする人を支える事が出来るのである。 正直、今は妹の事が心配でならないが、 私だけではなく、家族の力が合わさったネットで 支えられたらと想っている。 想えば、私の病症が段々落ち着いてきて 母が作ってくれる“生命のスープ”を 摂取できるようになり、前に進んでいけていると 感じていたら、突然親しい人の死に直面して 妹が病気になり、周りの環境が慌しくなった。 母に少しずつ近付けていっていると 想っていたのに、今回の事があり 波打つ状況に陥っている。 勿論苦しいが、このようなプロセスを 繰り返して前に進んでいけるのだと 考え直すようになれた。 何もかも一筋縄で上手くいく訳が無い。 生きていると様々な問題に直面する。 その時、 強さに逃げるのではなく、人間の弱さを認識する“強さ” を感じる事が大切なのであろう。 無理をしたり焦ったりする必要は無い。 どんなに生き急いでも、流れる時間は 変わらないのであるから。 今朝、就薬を半分の量にした為、 18時半には目覚められた。 でも頭はぼーっとしていて、 空腹感を覚えたので インスタントの、わかめがほんの少ししか 入っていないお味噌汁を マグカップで作った。 しかしぼんやりしていた為に 手が滑り足に零してしまい、 約1秒後に 「熱い!!うわあ!!」 と叫びボトムスを脱いで ティシューに水を湿らせて 真っ赤になった皮膚に当てた。 対処が少しだけ早かったので、 今の所痛みは無いが、 きっとシャワーを浴びる時 辛いであろう。 手間を惜しまず、ミルクティーを作れば 良かったと今更後悔している。 本当に気を付けねばならない。 画像は、家の植え込みに咲いていた 水仙の花である。可憐で美しく、 清々しい芳香を放っている。 その隣に桃の木が植えられているのである。 どちらも精一杯の力を以って 一生懸命花を咲かせていて、 私はその力を羨ましく想い、優しく花弁に触れる。 近所の花屋では、石楠花の花が豪華絢爛な 感じで咲き誇っていて美しかった。 私もそんな花のように、 凛として生きていきたいと 考えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.25 21:28:47
[摂食障害] カテゴリの最新記事
|