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カテゴリ:摂食障害
ずっとずっと眠り続けた。
目覚めたのは0時半を過ぎていた。 それでもまだ眠れそうだった。 この所無理をして 4時間くらいの睡眠で 18時に起床していたので 疲れが溜まっていたのかも知れない。 13時間くらい眠っていた。 でもこれで少しは心身が 癒されたであろうと感じる。 朝、昼と過食と嘔吐を する習慣がついてしまった。 立て続けであるし、 2度目は就薬を服用した後なので 半分朦朧としながら、それでも 私は必死に食べ続けている。 今の所どうしてそこまでして 食べようとするのか、食べるのか 考えたくないし思考が及ばない。 ただ、必要だからこの症状が 出るのであろうと言う事は 何となく分かる。 でも虚しさは膨張していく。 昨夜に降った雨でしっとりした 春の空気の中 私は今朝も 桃の木の前で手を合わせた。 あれだけ風が吹き荒れたのに まだまだ桃の花々は 力強く咲き誇っている。 そのたくましさを 少し分けてもらえたような気がする。 誰もが寝静まっているような 夜中、やっと私の思考は 働き始める。 ゆっくりとお酒を飲みながら 読書をしたり音楽を聴いたり 漫画を読んだりする。 何も考えたくない時は、 ぼんやりと煙草を吸いながら 暫し頭の中を空っぽにする。 起きている間は、ずっとずっと 摂食障害やその他の病気に こころも身体も苛まれていて、 自分自身に辟易するのである。 けれども、自分には『感情』が確かにあり それは生きていると感じられる。 母が病気について全く理解して いなかった頃や、 妹達と暮らしていて私の病気について 罵詈雑言を浴びせられていた頃に比べると 私はやっと私らしく生きていけるように なったと感じる。 家族とは1艘の舟に乗って進んでいるものである。 そこには定員が決まっている。 哀しい事であるが、私が苦しんでいた頃 私の居場所にはKちゃんが居たのである。 私よりも姪の世話を進んで甲斐甲斐しくしていたし 妹の支えになっていた。 どんどん私は居場所が無くなって 隅の方で辛うじて息をしていた。 けれども患っている病気は舟に乗っている 皆に迷惑をかけていた為に どんどん疎まれていった。 それが現実であった。 私なんかよりもKちゃんの方が 大切に想われるのは至極全うな事であった。 大学から帰っても私は帰り道で購入した 食べ物を自分の部屋で只管 食べては吐く行為を繰り返した。 寂しさや惨めさを考えずに済むように 半ば『解離』した状態で。 こころも身体も疲れきった頃 やっと眠剤を服用して眠れると言う状態であった。 やがて、この舟に妹は自分の彼氏まで乗せた。 狭い狭い舟に定員オーバーで、流石に母も 節操の無い妹に呆れ果て 別居に至った。 そして妹は妹の舟を持ち そこにはKちゃん、姪、彼氏という 居場所が出来た。 そうなる事で自動的に家族の舟にも 私がゆっくりと座っていられる居場所が 生まれて少しずつ病状も落ち着きを 見せ始めたのである。 本当に哀しいけれど、 そんな過去があった。 あの時、もっと大きなこころを持って 妹やKちゃんの事を受け容れて 仲良くしていれば、 こんな悲劇は起きなかったかも知れないと 悔やまれて仕方が無い。 過去に起こった事は どうしてもやり直せない。 あの時に戻ってKちゃんに謝りたい事が あるけれど、 もうそれは叶わない。 後悔ばかりしている。 毎日泣いている。 泣いたってもうどうしようもない事なのに 私は泣くしか術がない。 どうすれば良いのか分からない。 私は情けない人間である。 そして下らない。 出来る事は精一杯彼女の分まで 生きて行くことだけかも知れない。 それしか出来ない自分が悔しい。 何もかもに疲れて、時々消えたくなる・・・ そんな想いも否定できない。 休み休み歩いていこうと考える。 焦っても病気が治る訳でもなければ 苦しみが消える訳でもない。 自分が抱える虚無と言う大きな穴を 偶には見詰め直しつつ それを確かに感じつつ 生きよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.02 01:34:32
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