191944 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

凍えたココロ

凍えたココロ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

wwナノww

wwナノww

Calendar

Favorite Blog

【重要なお知らせ】I… 楽天ブログスタッフさん

血痕と脳内嘔吐。 -秋羅-さん
べーぐるまにあ。 158号さん
ラクに生きよう♪ キラキラminamiさん
とりあえず日記 kaxukoさん

Freepage List

Headline News

2007.07.14
XML
カテゴリ:摂食障害
夜中3時・・・

暗闇に落ちて来る

雨が地面を叩く音と

蛙の啼く声を聞きながら

眠りに落ちた。







余りにも雨音が強くて

6時過ぎには目が覚めた。

こんな早くに起きても

する事など何もない。

もう一度眠ろうと

試みたが、

胸の辺りがざわざわして

寝付けなかった。

そのざわざわは

いつもの如く

過食の衝動を呼び

今日はそれに抗う力も

なかった。

流されるまま、

私は沢山スープを作って

ゆっくり飲んでいき、

水分だけでお腹を膨らませた。

全ての作業を終わらせた後、

身体は物凄くぐったりして

12時まで眠っていた。







朝から過食と嘔吐

してしまうと、

昨日述べた通り

身体がぐだぐだになる。

まるで鉛でも詰め込まれたように

重たくなる。

そして、

「もう何もかもどうでも良い・・・。」

といった投げやりな気持ちになる。







けれどもこころは

いつも悲鳴を上げている。

「助けて。」と・・・。

この病は自分でどうにかしなければ

ならないことは分かっているし、

人に何を助けてもらいたいのかも

分からない。

只管、

「苦しいな。辛いな。寂しいな。どうしよう。」

と困っていて、

どうにもならない。

前提に、

「それでも生きていかねばならぬ。」

という事実が目の前にある。

病と生きていく上で、

上に述べた気持ちは

厭でも抱え続けねばならない。

簡単に投げ棄てることなど

出来ないのであるから。

きっと“より良く生きたい”という

贅沢な想いがあるから、

余計に辛くなるのかも知れない。







23歳の誕生日、

私はお薬を多目に服用した事で

昏睡状態に陥り、

救急車で県病院に運ばれた。

主治医との診察中にそうなったので

主治医も一緒だった。

その日は、母と共に

大学の保健管理センターで

カウンセリングを受けた日であった。

その頃の私と母は、

今とは違い、お互いを相容れない

状態であった。

私は毎日、母と妹に

摂食障害の病症

責められていた。

1日7~8回、

過食と嘔吐を繰り返して

いたのもこの頃である。

カウンセラーは、

私が心身共に危ない状態である事を

察知していらして、

この日、母を呼んでのカウンセリングと

なったのである。

母と私はお互い余所余所しかった。

平行線のまま時間が経ち、

何の解決策も得られないまま終わった。

カウンセリングルームを出た後、

母は物凄く機嫌が悪く、

私はそれが怖かったので

何とか取り繕うとしたが、

ことごとく無視された。

話しかけても聞こえない振りをして

さっさと車に乗って帰ってしまった。

それは“絶望”以外の何ものでもなかった。

哀しい気持ちのまま、

主治医の診察までには

時間があったので、

大学のPCルームで

色々と調べ物をしながら

抗不安薬を5錠位服用した。

診察の時間が迫ってきたので

PCルームを出た後、

講義棟の1階にあるベンチで

ジュースを飲みながら

日中薬を4回分、

就眠時のお薬である

副作用の眠気が強く出る

抗うつ剤を4錠程

服用した。

勿論、死のうなんて想っていなくて、

家に帰り着いたら

直ぐお蒲団に入り

眠ろうという魂胆だった。

服用した量を今改めて

想い出しても、

オーバードーズの定義には

入れどもそんなに量は多くない。

しかし、実際は

相当危険な状態だったらしい。

それを、昨日の電話診察時に

聞いた。

主治医のお友達である、

県病院に入院していた時の

私の内科主治医から

最近会った時に聞いたと言う。

こころも身体もぼろぼろだった

私は、上記の少ない量で

死ぬ一歩手前だったらしい。

血液検査の結果を

内科主治医と麻酔科医師が見たとき、

相当焦ったとも聞いた。

私は、その“死にかけていた”話を

精神科主治医から

打ち明けられた際、

「そうだったのか・・・。でも死ななかったんだ。

 じゃあ、生かされたということだ。

 つまり、もっと生きて苦しみを味わえ

 ということなんだ。」


と、感じた。

この気持ちは口に出さなかったけれど、

私はまだ生きてやらねばならない事が

あるからこそ、“生かされた”

感じた。

そういえば、私が入院した

最初の部屋は“ICH”という

“ICU”の次に危険な状態の

患者が入る所であった。

鼻から呼吸器も挿入されていて

もちろん尿道カテーテルも通され

オムツもしていて

24時間心電図で測られていた。

定期的にその機械が

脈拍、血圧などの数値を

記録していた。

丸1日意識がなかったらしいが、

夜中にふとベッドの横を見たら、

母が床にゴザを敷いて

眠っていた。

その姿を今でも強く

覚えている。

兎に角、私は生かされたのである。







今、こうして母と共に

仲良く生きられているということ。

苦しみを分かち合い、

生きられていること。

これは3年前には

考えられない事であった。

勿論、摂食障害を生きるという事は

苦しみや辛さ、哀しみや心細さが

付き纏い、いつも幸せだと

言う訳ではない。

しかし、生きている限り

可能性は沢山生まれてくるであろうし

希望も培われるであろう。

諦めるのはまだ早いのかも知れない。







朝から過食と嘔吐に走ってしまい、

とても後悔した。

自分から苦しい状態に

己を陥れたのであるから

自業自得である。

「今日は4回する事になるのかな。」

と辟易していたが、

余りにも眠気が強く、

昼に過食と嘔吐をした後、

18時過ぎまで眠っていた。

急いでシャワーを浴びて

スーパーへ行く支度をした。

なので、3回で済みそうである。

こうも毎日雨が降り続くと

偶には太陽の光を浴びたり

輝く夕陽を見たりしたいと想う。

台風が、これ以上大きな被害を出さず

熱帯低気圧に変化してくれる事を

願って止まない。

ついでに私のこころの中に潜む

台風のように荒々しい

哀しみも、柔らかなものに

変移すればいいなと

ふと考えた。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.07.14 21:27:57
[摂食障害] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X