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カテゴリ:摂食障害
久し振りに
綺麗な夕焼けを見た。 西の空は 橙色に輝き グレーの雲をも 明るく染めていた。 心地好い風が 頬を撫でていき 私は深呼吸をした。 夜中、全てやる事を 終えて やっと眠れる事に 安堵の念を覚えた。 しかし、何故か胸の辺りが ざわざわした。 もう就薬を服用した後だから さっさと眠ってしまおうと 想っても、 頭がどんどん冴えてくる。 それと共に 「何か食べたい・・・食べたい・・・。」 という欲求が 止め処なく膨らんでいき 私は頭を抱えて苦しんだ。 一度、「食べたい。」と想うと それを跳ね除ける事が出来ない。 夜中3時過ぎ。 私はまた食べ始めていた。 だんだんお薬の効果が 現れて 頭がぼんやりしてきたが、 もう沢山食べていたので 眠る事はできない。 早く終わらせようと 急いで食べ物を詰め込んで 戻した。 この強い想いは 何処から来るのであろう・・・。 凄く落ち込んだが、 漸く眠れる事に喜びを感じ 直ぐ眠りに落ちた。 9時過ぎには目覚めたが、 まだ身体は怠く、 もう一度目蓋を閉じて 眠った。 12時、やっと目が覚めた。 しかし、その間 夢の中でも 過食と嘔吐を 繰り返していた。 目覚めてうんざりした。 連日続いた雨は、 もう止んでいて その代わり とても涼しい風が 部屋に吹き込んでいた。 7月でもこんな涼しい日があると 嬉しい気持ちになる。 外に出て 少し強めに吹く風を 身体全体で受け止めて 深呼吸を繰り返した。 台風が去った後なので 何だか空も澄んでいて 良い気分になった。 清々しい風を浴びると どんよりとした 私のこころの澱みさえ 空の彼方へ吹き飛ばしてくれるような 感じがする。 家の中に閉じ篭っていると 考える事は 病の事や、それに伴う 寂しさ、心細さ、不安ばかりである。 これらの気持ちとは、 ずっと付き合わねばならない。 排除する事など 出来ないからである。 ただ、そう感じている 不安に弱っている自分を 労わる事は出来る。 ナルシシズムではないが、 偶には自分の事を 慈しみ、愛する事も 大切な事だと考える。 でも、それがまた難しいのは 明らかな事実である。 生きるということは つくづく難渋なものだと感じる。 もしも私が 摂食障害を 患っていなかったら、 こんなにまで 生きることについて 考えなかったかも知れない。 考えれば考えるほど、 混乱を招く難しいものに なっていくような感じがする。 「私は今、生きている。」 という事を さらっと素直に 受け容れられたら どれほど楽であろうかと 想う。 しかし私が生きていて 歩いているこの道は 厭になってしまうほど 険しい荊の様な道である。 1歩踏み出す度に 傷つく事もある。 故に臆病になっている 部分も否めない。 病気を癒そうと、努力して その1歩を踏み出そうとしても、 また怪我をするのではないかと 不安で怖くて仕方がないのである。 それは所謂“言い訳”なのかも知れない。 病気という苦しいけれども 生温かい泥沼に溺れている方が 楽なときもある。 しかし、そのままではいけないとも 強く感じている。 今は、主治医と 摂食障害について “共同研究”している最中である。 この病を撃退したり 無理矢理取り除いたり するのではなく、 共に生きているのである。 この病こそが、 私という人間を象徴しており、 だからこそ 沢山の物事を 感じ取ったり考えたり 出来るのであろう。 病を排除しようと躍起になったら 無理が生じるであろう。 勿論、この病気は苦しく 生きていることを放棄したくなるほど 哀しいものでもある。 そして周りにも 多大な迷惑や負担を強いている。 「私さえいなければ、皆幸せに過ごせるのではないか。」 と考える事もある。 しかし、“生きている”という 事実は曲げられる筈もなく、 哀しく申し訳ないと考えながらも 騙し騙し 生きている。 だが、私1人で生きている訳ではない。 時々、病症の酷さに溺れて 「何でこんなに辛いのに生きなきゃいけないんだろう。」 と考える事もあるが、 私は間違いなく “生かされている” のである。 昨日綴ったように 23歳で命を落としかけても 今こうして生きているのは 奇跡に近い。 現在も原因不明の体調不良に 悩まされているが、 母が居るから、居てくれるから 生きることが出来ている。 自己憐憫に浸っている暇があったら、 もっと周りの人々に 感謝する気持ちを抱かねばならない。 しかしそれも難しい。 過食の最中にあると 「ああ、苦しい。一体私は 何の為に生きているんだ。」 としか考える事ができない。 「生きていてくれるだけで良い。」 と言った温かい母の言葉を 柔らかく受け止めたいものである。 夢でも摂食障害の病症が出ると、 1日中病気に浸かっている気がして 正直気が滅入ってしまう。 睡眠こそが私の救いであり、 心身を癒す大切なものである。 やはり、眠る前に我慢出来ず 過食を始めてしまった事が 影響しているのであろう。 目が覚めた時は憂鬱であったが、 久し振りに晴れた空を見上げると 清々しい気持ちになった。 “自然の力”にも 私は生かされているのだなと しみじみ感じた。 辛く苦しくても、 哀しい気持ちを抱いていても、 いつかはこの体験が 勉強になっていたのだと 感じられたら それで良いのかも知れない。 生きることについて 難しく考えてしまうきらいがあるけれど、 少しはゆったりとした 心構えで 1日を送ってみたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.15 21:33:30
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