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凍えたココロ

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2008.02.21
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カテゴリ:うつ

何もかもに疲れていた。

ずっと、処方どおり

お薬を服用していなかった所為もある。

あの時、こころは

もう耐え切れないほどギリギリの

状態だったのであろう。







早朝4時頃、私のこころが爆発した。

抑制が効かなくなったのである。

過食と嘔吐が終わって後片付けを

しようとしていた。

食器をキッチンへ運んでいる途中、

落としてしまった。

それが切っ掛けとなったのか、

突然私は叫びだしてしまった。

床を拭かなきゃとか、食器は割れなかったものの

早くシンクまで持っていかなきゃとか

そういう事を全く考えられなくなって、

私は2度3度、続けて叫んだ。

言葉にならない叫びだった。

そして呆然と立ち尽くした。

何が何だか分からなかった。

自分が叫んだ事や、所謂“キレた状態”に

なってしまった事。

こんな事は初めてだったので

今、自分がどういう状況にあるのか

全く分からなかったのである。

正に、錯乱状態だった。

母が起きてきて、私を抱き締めてくれた。

それでもまだ呆然としていたと母は言っていた。

所々、記憶も飛んでいる。

あれは、こころの悲鳴が外に出たという

感じだったと想う。







その後、私はシャワーを浴びて

またぼんやりしていた。


錯乱状態からは少し落ち着いていたものの、

また自分を抑えられなくなるのではないかという

怖さがあった。

自分が自分でなくなるような感覚。

とても気持ち悪いものだった。

あんなに叫ぶ自分が、怖かった。

病気はどんどん悪くなる一方なのに、

診察を受けていない事。

お薬をきちんと服用していなかった事。

辛くて苦しくて堪らなかったのに、

迷惑がかかると想って主治医にも母にも

正直に言えなかった事。


それらが澱となってこころに

たまっていたのだと想う。

澱んだこころの中は、私自身、

もう把握しきれなくなっていた。

それが、錯乱へと繋がった。







母が抱き締めてくれた事。その温かさが

ゆっくりと落ち着きに繋がっていった。


大丈夫だからと言う母。

取り乱した私を、見放さずにいてくれた母。

迷惑をかけてしまったという気持ちが大きいが、

母が包んでくれたという事が温かかった。

嬉しいとかそんな言葉ではなくて、

ただ、母のぬくもりで落ち着いた。

ずっと独りだったらどうなっていたか分からない。

母がいてくれて、本当に良かった。







不安定だったからか、朝からお酒を飲んでしまった。

ブラッディメアリーを作り、

それをゆっくり飲んだ後は

麒麟ZEROという発泡酒を飲み続けた。

その合間に時々日本酒も飲んだ。

何も食べなかった。

飲んでも飲んでも酔わなかった。

ブラッディメアリーを飲み終わった頃、

母は起床する時間で、目が覚めた後

私の部屋へ来てくれた。

ぼんやり座っていた私の背中を

撫でてくれて、ゆっくりと想っている事を

少し、話した。

夜、起きられなくて近所のスーパーに

行けなくなるかも知れないから、

ずっとお薬を減らし続けていて、

それでも起き上がれずいつもジャスコまで

連れて行ってもらっている事に罪悪感を抱いていたと。

母は、

「もう、無理はしたらいかん。

 お薬はちゃんと飲みな。こころを落ち着けるのが一番大切やろう?

 やけん、起き上がれなかったら迷惑がかかるとか

 そういう事は考えなくていい。

 ちゃんとお薬を飲んでほしい。」


そう言った。

病気である自分が、勝手にお薬の量を

極端に減らしてはいけないとつくづく感じた。

自分で何かをコントロールしようとするのは、

無理にも程がある事が改めて分かった。







母の優しさ、温かさに救われた。

錯乱状態に陥った為、夜は動けなった。

観月ありさちゃんが出演する歌番組があったけれど、

それは前日予約録画できるようセッティングしてあったので

私は昏々と眠り続けた。

目覚めたのは21時半だった。

それでも母は、厭な顔1つせず

一緒にジャスコへ行ってくれた。

腕を組んで、一緒に店内を歩いた。

今まで、母と腕を組むのは恥ずかしかったけれど、

今日は全く抵抗感などなかった。

寧ろ、そうしてくれる事が嬉しくて安心した。

1人が、まだ怖かったからだと想う。

家に帰ってきてからも、母は晩御飯である

湯豆腐の支度を終えたら一緒に部屋に入り、

母の部屋で今までよりくっついて過ごした。

「明日は先生とお話できたらいいね。

 でも本当、無理はせられんよ。

 お薬はちゃんと飲まなきゃ。」


そう優しく諭してくれて、私達は

日本酒・・・丁度いい熱燗を分かち合って飲んだ。

ジャスコで購入したイカの塩辛を私は持ち込んで

それをおつまみに。

湯豆腐のお鍋の中には、半額で購入した

お刺身の切り身が入っていて、

生で食べるよりも火を通したほうが美味しいと

感じた。一切れだけ、食べられた。

母と共に食べるとなると、

段々固形物でも受け入れられるようになった。

自分の基準で食べ過ぎなければ、

過食に繋がる事もない。

固形物でも食べられる種類が増えた事。

それは、母と共に過ごす時間が導いてくれた

病気が治る切っ掛けの1つだと想っている。


朝、母が私の部屋に来てくれた際、

私は

「お母さんが私の事を見放してくれたら

 未練なく死ぬことが出来るのに」


と言ったらしい。そんな事を言ったような言ってないような

判然としない想いがあった。

それを母は一緒に過ごしているこの夜、

想い出したように会話に乗せ、

「私は絶対○○ちゃんを見放したりせんけんね。

 いつまでも一緒やからね。

 ○○ちゃんは、いっつも27歳にもなったのにって

 言うけど、いつまでも私の子どもなんやから。

 子どもは、こどもなんやから。ね。」


と微笑みながら、言ってくれたのである。

私の病気は重く、言葉も重い。

けれども、それを柔らかく受け止めてくれる母に

改めて感謝の気持ちが膨らんだ。


小さい頃は怖いだけの母だったけれど、

現在、母の笑顔を見るだけでこころが和む。

錯乱して、散り散りになったこころが

漸く落ち着いた瞬間でもあった。

私は、1人じゃない。

その現実に救われた。







やはり、病気なのだからきちんと診察を

受けるべきである事を痛感した。

病状は重いのに、診察も受けず

しかも勝手にお薬を極端に減らすのは

無謀過ぎた。反省している。

錯乱状態に陥ったのも、無理はない。

だが、叫び声をあげる事で

私はどうにかこころを守れたのだと想う。

今はあらゆる想いが溢れてまとまっていないが、

今回も母に救われたのは大切な事実である。

甘える事。遠慮をし過ぎない事。

毎日おまじないのように綴っているが、

【ゆったり・ゆっくり】という感覚を

大切にしたい。





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Last updated  2008.02.22 01:45:32
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