奈落の底。
昨日の夜中、何の前触れも無くそれは起こった・・・。またしてもトイレが詰まったのである。私にとっては『トイレが詰まること』は多大なる恐怖なのである。小さな子どもの頃からトイレが恐かったというのもあるが、それが綺麗に流れずに便器から溢れそうになるまで水が迫ってくるのを見ると得体の知れない恐怖に襲われる。私はパニックに陥り泣きながら、母にその事を報告した。すると夜中にも関わらず、私の為に専用のブラシで排水溝をゴシゴシと洗って詰まりを取ってくれたのである。私は自分のやった事の始末も出来ない、情けなさや愚かさを悔い、泣きながら母に謝り礼を言った。「ごめんね、本当にごめんね、ありがとう」と泣きじゃくりながら繰り返し言った。けれども母は、「そんなに気にしないで。もう大丈夫よ」と優しく諭してくれたのである。申し訳ない気持ちで一杯だった。けれども排水溝を雨の中文句も言わず洗ってくれた母には感謝しても仕切れない想いで胸が一杯になった。その時本当に『死』が頭を過ぎった。過食嘔吐を止められないのなら、死ぬしかないと強く思った。そしてこんな罪深い自分を傷つけなければと言う思いに駆られ、血管に21Gの針を刺しボトボトと血を流した。今も其処は青痣となっている。『こんなに大切な母にまで迷惑をかけて生きているのが忍びない』という想いから自傷に走った。本当に愚か者である。過食嘔吐は、今の私にとってはまだ必要な症状だと感じる。止めてしまうとあらゆるストレスや鬱積が溜まって『自分』という観念が崩壊してしまいそうな気がする。自分を滅ぼそうとするもう1人の自分がいて、傷付けたり破滅に追いやろうとしているのを朧気に感じる。でも昨日の夜中の一件で過食嘔吐は恐怖となった。しかし止められる術などないので、おどおど恐怖を抱きながら過食するのであろう。此処まで書いてきて本当に愚痴ばかりになってしまい、読んで下さっている方々に申し訳ないと思う。でも本当の気持ちを綴れるのはこういった形でしかできないので堪忍していただきたい・・・。今日も『過食嘔吐の魔の時間』がやってくる。以前大家が第三者を交えて排水溝の蓋を開け、私の吐瀉物を見せながら罵詈雑言を浴びせ、「吐く位なら食うな!」と言われた事を想起する。それが傷となって膿んでいて、排水溝を見ることが物凄い恐怖となってしまった。自分の仕出かした事の後処理ができないのは情けない。母に本当に申し訳ない。今日は食べるものを詰まらないような柔らかいものばかりで抑えようと思う。辛い、恐い。どうしたらいいのであろう・・・。