友人のこと
ずっと、ブログ止まってましたお越しくださっていた方たちには本当に申し訳ありませんでした。仕事が急に忙しくなったりという理由はあったのですがそれ以上に、ちょっとショックな出来事があり、更新をする気持ちにはなれませんでした。平成19年4月1日一人の友人が他界しました。年齢的にはほんの数歳年上なだけの同年代原因は「喘息発作による呼吸不全」単純に、これだけが原因ではありませんでした。「彼」は一昨年から肺癌を患い、素晴らしい病院の治療と家族の献身的な看護、そして長い療養と戦う精神力のお蔭で見事に治癒・生還しました。しかし、もともと喘息を持っていたところに加え、癌治療の闘病は「彼」に喘息と戦う力を残していませんでした。何度かの発作、緊急入院数度目に当たる4月1日の発作、緊急入院自分で呼吸することが出来なくなり病院の長時間に渡る心肺蘇生もかなわず彼は遂に力尽き、帰らぬ人となりました。これだけでも、同年の自分としては充分ショックな出来事でした。気持ちでは「若い」といつも思っていても、そういう年代なんだという現実を突きつけられたショック。しかし、それ以上に自分にショックだったのは「彼」が天に召されたということ・・・。「彼」とそのご家族とは特殊な間柄で趣味である「生き物飼育」で知り合った仲です。それも「WEB」を通して知り合った友人でした。「彼」は心から家族を愛し、友人を愛し、皆に元気を与える笑顔の素敵な友人でした。来るものを拒まず、誰とでも仲良くし、人を気遣いまるで、聖人のような友そんな「彼」は年に1度か2度しか逢わないような自分にも深い友情を示し、愛情溢れる付き合いをしてくれました。それはまるで数十年来の旧知の友のように何時もにこやかに、自分を受け入れてくれる。いつ逢っても、いつ遊びによっても「久しぶりー」と硬い握手を交わして自分を受け入れてくれるいや、きっとどんな人も、誰でも「彼」は両手を広げて受け入れる人だったでしょう人に優しいだけじゃなく、無闇矢鱈と義理堅く肺癌に倒れ、生還した時も、痩せ細った身体を引きずり「彼」の住まいである道東(北海道の東端)から私の住む道南まで「お世話になったから~」「もう俺も元気になったべさ。また一緒に飲も」と、自分と一緒に食事をするためだけに訪ねてくれた友人高速を使っても車で7時間もかかる距離を・・・です。その痩せ細った身体で「勝利」を勝ち取った「彼」を見た時にその壮絶な「姿」と支え続けた「奥さん」の愛に言葉を失ったほどでした。「彼」と逢ったのはそれが最後・・・順調に回復していると聞いていたのに4月2日に「彼」の奥さんから急にTEL 「うちのひと、亡くなったんです」その後は、何をどう話したかも覚えていません。驚きと悔しさに溢れ出る涙と嗚咽を抑えることができませんでした。まるで、後から後から悲しみが溢れてきて感情が抑えることが出来ず一番悲しいであろう「奥さん」と話していても相手を憚らず、慟哭してしまいました。2ヶ月以上たったいまこれを書いていても、また新たな感情と涙が溢れてとまりません。いえ、それ以上に当の「彼」は悔しくて堪らなかったでしょう折角、難病完治したと思った矢先の発作まだこれからという時期の子供たちそして何より最愛の奥さんの苦労が報われると思った矢先の死愛する者たちを志し半ばで残していかなくなってしまった無念は如何許りかと痛切に思います。「彼」の最後の言葉は「はやく・・・」「彼」は何を早くしたかったのか『早く元気にならなきゃ』だったのか『早く楽にしてくれ』だったのかそれとも・・・・自分は知らせを聞いたとき(これを書いている現在も)出張中で「彼」の葬儀には駆けつけることは出来ませんでした・・・。いえ、その後もまだ彼の墓前に焼香できていないのです。その気になれば、いくら忙しい仕事の合間とはいえいくらでも「彼」の家まで行くことはできます。「彼」の墓前に「正気」で向き合える自信がないのですそれ程までに、自分にとっては掛替えの無い友人でした。この感情は風化することはないでしょうがきちんと向き合える日が来るのを待って彼の笑顔に向かって焼香をしてこようと思っています。