独善でもなく他人の意見も聞かない?
hidew氏曰く、前々回の記事(こちら)を引っ張って来て『Yahoo!ニュース』のコメント欄を見て「全体」の傾向を語る愚。わざわざ下水道の中を歩いて「世の中は汚い」と言っているようなものだ。だって。直後には、「「みんな馬鹿」というトホホ論法(仮想敵世論のでっち上げ)がある。「類は友を呼ぶ」で彼の周りには本当に馬鹿が多いのかもしれない。あるいは Yahoo!, 2ch など自分が出入りする便所周辺を「世の中」と錯覚。いずれも「過度の一般化」「標本の偏向」である。」 さすがhidew氏。トホホ論法に事欠きません。 そもそも私はそういう風潮が気になると言っただけで、「世の中の多数派がどうだ」とか「日本全体がどうだ」なんていってないのですがねぇ。こういう意見が多かったので気になったから批判する、と言う程度の話なのですが。(そうするとまた、通じない表現の責任等と騒ぐのが見えるようですが・・・) さて、人が生きていくためには、自分で考えるだけでなく、他人の思考傾向を把握することが必要であるのは、言うまでもないことです。この問題について色々な人たちはどう考えるであろうか。それを把握しなければならないのです。(もちろん、だからそれに無条件に従う、と言うことではありませんし、現に私は前回投稿で多数派に見えた意見を批判しています) 「全て自分の思考だけ」「自分の意見以外は聞かなくていい」と考えるようになったならば、それは「独善主義そのもの」でしょう。金正日ですら、そこまでのことはできないでしょうね。多かれ少なかれ、たとえ結論に置いてそれに従わないにせよ、他人の意見は聞かなければいけないのです。 そうすると、周囲の意見と言うのはどのように把握すればよいでしょうか。 これが実は悩ましい。 一番確実なのは、日本人全員、或いはそうまで行かなくとも無作為抽出した相応の数をもつ標本に聞く(いわゆる世論調査)ことですが、それは、マスコミなり公権力なり、相応に人手や金銭を割くことのできる機関が要ります。 個人が好き放題に使える代物ではありませんし、世論調査が行う質問の範囲もマスコミが選定したものになりますし、更に数値化の要請もありますから、世論調査には重大な限界があります。 また、質問の方法によってある程度傾向を誘導することも可能になりえますし、そもそも質問に答えてくれる人と言う時点で傾向があることすら考えられるのです。 私が先の記事で使ったように、ネット上のニュースのコメント欄やネット上のコミュニティにも限界があります。hidew氏がそこだけ汚い、と評する根拠は彼の脳内以外で、具体的に何なのか、反証付きで示してもらいたいものですが、それをとりあえず脇に置いておいても、こういった場所に書きこむ人物に一定の傾向が登場することもまた避けられないことである、と思いますし、傾向自体はあると私も思います。その意味ではhidew氏の批判のうちで「標本の偏向」と言う点は、そもそも全体がこうだ、とは言っていないという問題を除外して考えれば正当なものがあります。 では、親族や仕事先、ご近所等等個人的な友人関係であるとかに尋ねるのはどうでしょうか。 ・・・これも、標本の絶対数が少なくなりがちである上に、「類は友を呼ぶ」危険性が常に付きまといます。そもそも人間の人格は周囲と触れ合っていくうちに形成されますから、当然の話ですよね。また、相手との間にひびを入れたくないあまりに、支持してもいないことに相槌を打ってしまう、或いはそもそもその手の話題を表に出すこと自体が憚られるなんてこともあるでしょう。 テレビの街頭インタビューなんかも、標本の少なさと言う点では見事に当てはまりますね。テレビの場合、多数の意見を出させる意味で取捨選択をしているとも思いますが。 とまあこんな風に、「自分で考える」ことも考え合わせれば、それぞれの方法に、周囲の実際の考えとは違う考えを把握してしまう危険が付きまといます。 問題なのは、これらを出す度に、「それは独善主義だ」「それは世論操作だ」「それは仲間内だけでの考えだ」「ごく一部の標本だ」などと封じたら、「じゃあどうやって考えたらよいのだ」と言う点です。 もちろん、それぞれに欠点がありますから、相互に補完、批判する必要がありますし、時には自身の感性で修正・補完・取捨選択、時には傾向批判をすることを一概に悪いとはいえません。 しかし、意見を集約するためにそのようなものから現れた多数説を把握してそれ前提に語ることすら悪い、取る奴はバカと言うのであれば、結局採用できるものは自分の考え=独善しかありません。 のみならず、それが信用できない、という根拠すら独善的なものになります。 現に、hidew氏はヤフーのコメント欄が偏向していないという「具体的な根拠」(例えば、別の言論が多数あること等)を全く出していません。いきなりどこからともなく「下水道だけ見ている」という言葉だけを吐き散らかしています。 少なくとも検索した限りで、この問題について同業者(日弁連は意見書を出している)などではなく幅の広い意見が集約されているのは、2ちゃんねるやそういったコメント欄くらい(2ちゃんねるにも同旨の意見は多かった)ですが、その偏向を指摘するのを越えて、そんなもの参考にするな、するのはトホホだと言うのであれば、結局私の脳内だけで世間がどう考えているかを把握しろと言うことになります。 それこそ独善主義、一人相撲への入り口です。 以前彼は棋士の研鑽義務関連で私に自分の脳内だけで世の中の意見を代弁するなと言いました。 それでネット上の意見を見せたら「これは偏向だ」と根拠もなくいいます。私などは立場的には二重ローンへの救済を主張する立場で、ネットに多い彼が偏向を主張する意見とは対極なのですけどね。 世論調査に対しても、誘導があるから信用ならんとも言っていました。 友人はこう言っていたという海原氏にも、ごく狭い言い分を一般化していると文句を言っていました。 軒並み「トホホ論法」扱いしていました。 ・・・・・・こうした論法が軒並みトホホなら、彼は一体何を元に他人の考えを把握して意見を作っているのでしょうか? もし聞かなくてもいいということなら、結論は独善主義と言うことになります。 そう言えば、自分ではろくに勉強しないのに、権威の言うこと(私の言うことではない)すら聞こうとせずむしろ貶す姿勢は、独善主義そのものだとも思いますが…。