とうとうその時が来たか
中国東北鉄路の旅5日目(9.23)今日は午前中一行と別れて此の長春で生まれた2人(従兄弟同士)が生まれた場所に案内するため長春の親しい旅行社の陳社長に案内を頼んだ。2人とも旧新京の住所表記は判っているが行った事がない上に終戦の時4歳と1歳だったので殆ど何も記憶がないそうだ。一人の生まれた場所は安達街で今も同名なので大体の所は直ぐに分かったがもう1人は新京時代南胡洞と云う事だけしか分かっていないので事前に新京時代の地図で調べたが当初どの辺りか全く判らず陳先生にメールして聞いてみたが彼も知らないと云うので困った。しかし何とかしないといけないので地図を当てずッぽ眺めていたら偶然南胡の北に見つかってホッとした。と云う事で陳先生にドライバー付きの車を用意して貰って兎も角2人の目的を達する事が出来た。無論2人共記憶がないのでこの辺りだと云う事で納得して貰った。また2人の内の1人のお姉さんが通ていた小学校の跡地に緑園実験小学が建っていることも確認できた。尚付近に当時の日人家屋が数件の残っていたが何れも無人の様だった。間もなく壊される運命なのだろう。私は折角の機会なので私が一時住んでいた勝利公園前に残っている満州興業銀行の寮に寄って貰ったが昨年まで中国人が大勢住んでいたのに今回は無人で荒れ果てていた。住人が居たら私が住んでいた部屋を見せて貰いたかったが残念だっ。壁に解体すると云う意味の拆の字がチョークで書いてあった。こうして新京時代の建物はだんだんとこの様な運命になるのであろう。と云う事で陳社長へはトータル600元と若干のチップを2人に支払って貰った。陳先生が居なかったらこうもスムースに見て回れなかっただろうから2人には感謝して貰えてよかった。昼食時に一行と合流出来た。一行は午前中長春郊外の彫刻公園に行ったが私は以前行った事がある所である。午後は長春吉林博物館を参観後昨日に続き中央大街に残っている満州時代の建造物を再度車窓から見て廻った後南湖公園内を散策した。博物館は旧満州国皇宮跡に併設されており中国の各時代の遺物が陳列されていたが余り印象に残っていない。また南湖公園は物凄く広いので散策したのはほんの一部だけだった。 出生地を訪ねる2人と案内役の陳先生 私が住んでいた銀行の寮(近く倒される) 長春八大部に一つ 関東軍司令部 南公園にて 宮岸先生と