カテゴリ:日常生活から
『乾き』2009年韓国映画 監督パク・チャヌク 脚本パク・チャヌク、チョン・ソギュン
ソン・ガンホ、キム・オクビン、シン・ハギュン、キム・ヘスク、オ・ダルユ 第62回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した作品であり、吸血鬼映画です。 物語の核となる人間関係とお話は以下のエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』に沿ったものとなっています。 病弱な夫・義母と一緒に暮らす健康な妻が、健康な男性と不倫関係となったのをきっかけに男と一緒に夫を殺してしまいます。 義母は病気で「閉じ込められ症候群」と呼ばれる身体の運動機能が無くなる状況となり、嫁と間男が息子を殺した事を知っても声を上げる事も出来ません。物言わぬ義母の視線と罪の重さが男女の心のわだかまりとなり自滅へと向かって行くものです。 しかし男が神父という設定なので、ホラー映画のパロディーの手法で観客に徹底的に「これはお話」と印象付けるように細かい仕掛けが施されています。 実際に全部見なければ作品の魅力は理解出来ないようになっています。 そもそも神父が人体実験で感染するウイルスは「エマニエル・ウイルス」で、純潔を誓った独身男性の死亡率が 100%という設定からしてふざけています。 実験の輸血で蘇生した神父は奇跡を起こせるとして信者が群がるようになります。 どうも私はカール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』の中の「世間の常ならぬ経験をしたがったり、そういう経験のある人を崇拝する事には危険が含まれている事に留意すべきだ」という記述をすぐに思い出して白けてしまいます。 日本映画のパロディーも映画の重要な要素です。義母は由紀さおりに似た髪型ですし、殺される夫は『ぼんち』の市川雷蔵にとても良く似ており、亡霊となっても笑顔を絶やしません。 ラストシーンは日本の有名な不倫小説と良く似ています。 19世紀に書かれたエミール・ゾラのルーゴン・マッカール叢書が20世紀の文学や映画に与えた影響はとても大きい事に気が付きました。 私は登場する映画のパロディーの数にとても驚きました。 見終わって「なぜ吸血鬼物でなければならかったのか」という疑問が改めて浮かびました。 現在の吸血鬼映画の原典はアイルランド人作家ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』です。 いくつかの経済本で書かれている見方に対しても疑問が湧きました。 イギリスは19世紀末に約10年のデフレとなり、20世紀初頭にはイギリス中銀が現在広く行われているような対応を取らねばならない状況となったそうです。 映画の世界では、1920年代にイギリス出身のチャップリンがヒューマニズムの考えを喜劇映画に導入しました。 『乾き』で神父と女の心がふれあうのは、裸足で夜中に街を走る女に神父が自分の靴を履かせる事からです。 ヒューマニズムの考えは、映画を支える大切な要素なのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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