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カテゴリ:日常生活から
1997年2月18日に、日本赤軍幹部5人がレバノン治安当局に身柄を拘束されました。
身柄を確保されたのは、和光晴生・足立正生・山本万里子・戸平和夫・岡本公三の5名で、岡本を除く4人は日本へ送還されました。 日本赤軍は、中東など海外に拠点を置いた新左翼武装組織の1つでした。 1971年に元「京都パルチザン」の奥平剛士と共産主義者同盟赤軍派の重信房子が中心となって結成し、1970年代から80年代にかけて多数の日本赤軍事件を起こしました。 1972年5月30日に、イスラエルのベン・グリオン国際空港で起こした「テルアビブ空港乱射事件」では、一般市民を中心に100人以上の死傷者を出しました。 他にもこのような無差別テロ事件を繰り返して国際的な非難を浴びました。 1980年代には、日本・欧米各国の対テロ体制が厳重化したので、かつてのようなテロ活動が困難になりました。 過去の活動が国際的な非難を受けたので、アラブ諸国からの支援も受ける事が出来なくなりました。 1990年代にはソヴィエト連邦が崩壊したので、活動形態そのものが完全に時代遅れとなりました。 1997年の幹部5人の身柄拘束は、日本赤軍の衰退期の象徴的な出来事のようです。 2001年4月に、重信房子は日本の獄中から「日本赤軍としての解散宣言」を出しました。 これを受けて、米国務省は日本赤軍の国際テロ組織の認定を解除しました。 いわゆる「シンパ」の高齢化と継承者の不在で、このような団体の先細り状態は続いているようです。 2005年1月、元幹部の山本万里子は東京都板橋区内のスーパーマーケットでさきイカ2点1200円相当を万引きして逮捕されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.02.17 15:06:19
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