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カテゴリ:日常生活から
1972年2月19日、連合赤軍のメンバー5名が、軽井沢の浅間山荘に人質を取って10日間にわたってろう城しました。
機動隊の人質救出作戦と2月28日に警視庁機動隊・長野県警察機動隊が浅間山荘に強行突入する一部始終がテレビで生中継されました。 人質の無事救出に、死者3名(警察官2名・民間人1名)・重軽傷者27名を出した厳しい作戦でした。 連合赤軍は、1971年から1972年にかけて活動した日本の新左翼組織の一つです。 金融機関強盗で資金を得た共産主義者同盟赤軍派と、真岡鉄砲店襲撃で猟銃を入手した日本共産党神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成されました。 1971年12月31日以降に、連合赤軍のメンバーらは、軍事訓練合宿での総括というリンチによる被害者12人にのぼる大量殺人、いわゆる山岳ベース事件を起こしていました。 その約1カ月後に浅間山荘に立てこもった5人、坂口・坂東・吉野・加藤兄弟はその残党でした。 彼らはひたすら人質を盾に、食糧と弾薬が続くまでろう城する事しか頭に無かったようです。 リーダー格の森・永田・坂口の逮捕を聞いても、親達が説得しても人質を解放しようとしませんでした。 後に森は拘置所で自殺しました。 この事件は、それ以降の政治運動に影響を与えたようです。 新左翼の活動の継承者は先細りとなりました。 左翼政党の活動にも影響が及んだようでして、代議士が赤軍派との関与を否定した社会党は名前が無くなりました。 1993年の同日、つまり事件発生から21年目に、最高裁はリーダー格の永田洋子と坂口強の上告を棄却したので2人の死刑が確定しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.02.18 17:25:00
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