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1946年 2月20日、ソヴィエト連邦が千島列島・南樺太の領土編入を正式に宣言しました。
千島列島は国後・択捉・得撫・幌筵の4島から成り、日本が返還を求めている北方4島です。 1945年8月以前から居住の日本人は1947年にほぼ全員が本土へ引き上げましたが、朝鮮人はそれも認められず現在も居住を続けています。 1945年8月14日、大日本帝国は連合国に対してポツダム宣言受諾を表明し、日本軍は間もなく武装解除を行いました。 千島列島も米軍機の空襲を受けていましたが、米軍は宣言受諾の了解をもって攻撃を停止しました。 一方8月11日に、ソヴィエトの赤軍・第一極東軍が北緯50度線国境を侵犯して南樺太に侵攻しました。 8月18日には、千島列島はカムチャッカ半島のロパトカ岬からの砲撃にさらされ、赤軍・第二極東軍が占守島に上陸、日本軍・第五方面軍91師団と交戦しました。 8月21日までの戦闘で、赤軍1567名、日本軍600〜700名の死傷者を出したそうです。 (数字は双方の自軍の記録から) 翌9月5日までに赤軍による北方四島の占領は終了しました。 駐屯していた日本軍は、武装解除されてスターリンの指示でシベリアに抑留されました。 占領地にはロシア人が送り込まれて、日本住民の個人資産を次々に接収していきました。 ソヴェイト連邦は、以上の状況をふまえて1946年2月に北方四島と南樺太の領土編入を宣言しました。 北方四島のソヴィエト連邦とロシアの領有は、いわゆる実効支配に当たります。 1951年のサンフランシスコ講和条約において日本は千島列島の領有権を放棄しましたが、ソヴィエト連邦・ロシアのいずれもこの条約を批准していません。 北方四島は法的には帰属未定の土地のまま、現在もロシアの領有が続いています。 鳩山内閣下の2010年3月から4月にかけて北方四島関連の法令も消滅しましたが、民主党政権は何らの対応も行わずに放置しました。 安倍内閣がロシアとの本格的な交渉に着手する事を、私は期待しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.02.19 17:21:57
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