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カテゴリ:日常生活から
1991年2月24日、湾岸戦争で米英仏を中心とする多国籍軍による大規模地上攻勢「砂漠の剣」作戦が発動しました。
イラク軍はこの戦いに破れ、多国籍軍は3日後の2月27日にクウェートを奪還、3月3日に暫定停戦協定が結ばれました。 1990年8月2日、イラク軍はクウェートに侵攻しました。 イラクはクウェート領土は本来ならば自国に属すると主張していましたが、直接の原因はクウェートの量産によって原油価格が下落を見ていた事が自国の不利益とみなした事からとされているようです。 当時のイラクはイラン・イラク戦争の費用で財政赤字状況にあり、主要輸出品目の原油価格水準の下落は看過出来ない事態だったようです。 これを受けて米国を中心に多国籍軍が編成され、1月17日のイラク空爆から本格的な戦争状態となりました。 これは「砂漠の嵐」作戦と呼ばれ、米軍のF117ステルス戦闘機のレーザー誘導爆撃の様子が世界に報道されました。 これに次ぐ「砂漠の剣」作戦は、米英仏の陸軍部隊33万人を中心に、総勢50万人が動員される大規模な戦車戦となり、イラク軍は国内への撤退を余儀なくされました。 イラク軍は東側の兵器を配備していましたが、西側の性能の高い兵器に圧倒された模様です。 当時の戦時プロパガンダと報道統制は巧妙とされており、全貌が判明するには時間がかかったとされています。 戦費は520億ドルに達し、NATO域外での軍事活動が制限されているドイツと日本はこれを分担する事となりました。 東西統一から日が浅いドイツは70億ドル、日本は紛争周辺3カ国にたいする経済援助20億ドルを含む135億ドルを支払いました。 クウェートは戦後、参戦国などに対する感謝決議を行いましたが、日本はその対象とはなりませんでした。 ドイツは憲法改正を行い、NATO域外派兵を可能にしました。 1991年海上自衛隊はペルシャ湾に掃海部隊を派遣、これが最初の海外実任務となりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.02.23 17:00:52
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