He vuelto desde Barcelona
全481件 (481件中 151-200件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >
21日のリーガ第16節、バルサはアトレティコ・マドリーとホームで対戦した。カンプ・ノウの前にはクリスマスツリー。また、サポーターから恵まれない子供たちのためのクリスマスプレゼントを受け付けていた。日本から帰ったばかりのバルサ。ザンブロッタは全治1か月の負傷、ファンブロンクホルスト、マルケスも休養。CBにテュラム、右SBにベレッチ、そしてシウビーニョも出場停止で誰も本職の選手がいない左SBにはオレゲールが入った。年内最終戦の観衆は毎年少ないが、この試合も5万3685人にとどまった。試合前に亡くなったレクレアティーボのサポーターのため黙とう。しかし、アトレティコのサポーターが騒ぎ、一時騒然となる。バルサにはいつものようなパスワークが見られず、何度もパスカットされる。41分にロナウジーニョがFKを決め先制。しかし、この後も迫力に欠ける。やはり本職でないこともあり、オレゲールの攻撃参加は少なかった。守備が粘り強いアトレティコも、攻め手に欠いていた。しかし59分、リュクサンのスルーパスを「クン」ことアグエロがテュラムをかわして抜け出して受け、同点弾を叩き込んだ。これでテュラムが負傷退場。代わりにジュリが入り攻めに出るも、1-1のドローで終えた。私はバルセロナに来てからこのカードでのバルサの勝利を1回も見てないが、またもお預けになった。テュラムは全治5、6週間の負傷。さらにデコとロナウジーニョは来年1月7日のヘタフェ戦は警告の累積で出場停止となった。
2006年12月23日
コメント(0)
17日のクラブW杯決勝後、号泣した日本人少年がバルサ内で大きな話題となっている。ラポルタ会長は20日の会見で「この少年はバルサが世界中に与える影響を体現してくれた。何かしてあげたい」と語り、メディアや日本のペーニャ(在野のファンクラブ)などを通じ、少年を探す方針を示した。横浜国際競技場の南側ゴール裏にいたこと以外、詳しいことはまだわかっていないようだ。カンプ・ノウへの招待などが検討されているもよう。この少年の涙は確実にバルサ幹部の心をとらえた。追記その後、少年の身元が判明。こちらのマスコミでは実名で報道されている。
2006年12月21日
20日0時35分(スペイン時間)、R・マドリーとの試合の応援のためレクレアティーボ・ウェルバのサポーターを乗せ、マドリーへ向かっていたバスが道路に横転していたトラックに激突した。この事故でバスの運転手と、サポーター3人が死亡。35人が負傷した。レクレアティーボは同日21時からの試合の延期を申し入れたが、スペインサッカー連盟は試合を行なった。サンティアゴ・ベルナベウで行なう予定だったカンナバーロのバロンドールとFIFA年間最優秀選手受賞の祝賀式典は中止。全試合会場で黙とうが捧げられた。レクレアティーボは神がかったようなスーパープレーの連発で見事にR・マドリーを0-3で粉砕。事故死したサポーターに捧げる勝利をあげた。心よりご冥福をお祈りします。
Hoy es el día inolvidable.Yo no pensaba que viajaría por Europa y Japón contigo muchas veces en este año.Además de estos,había muchas cosas contigo.Eran emocionante.¡Ojalá que esté contigo siempre!Te quiero.
2006年12月19日
17日のクラブW杯決勝。バルサは南米代表のインテルナシオナルと対戦。しかし81分にカウンターからアドリアーノにゴールを許し、そのまま0-1で敗れた。バルサはチャンスをつかみながらもシュートをことごとく外していたし、相手にカウンターを許すスペースを与えすぎていた。19分にロナウジーニョが倒されたシーンはカンプ・ノウなら間違いなくPKだったとは思うが、残念ながらPKを呼び込むような熱気は横浜にはなかった。けが人もいたし、過密日程と長旅によるコンディション不良もあった。インテルナシオナルのモチベーションの高さもあった。敗因をあげればきりがない。事実なのは14年前に続いてバルサは世界一の座を逃したということ。中立地での一発勝負の怖さを改めて感じた。18日のスペインのスポーツ紙、MUNDO DEPORTIVO(ムンド・デポルティーボ)は、試合後に号泣する少年の写真を1面に掲載。一般紙のel Periódico(エル・ペリオディコ)は、スポーツ面でこの少年が父親に慰められている写真を掲載した。そして両紙に共通した見出しはHarakiri(腹切り)だった。来年も同大会は日本での開催が決まっている。来年こそはバルサにこの少年を喜ばせてあげてほしい。
コメント(2)
15日、UEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)の決勝トーナメント1回戦の抽選が行なわれた。バルサはイングランドのリバプールと対戦。バルサへの楽観論が広がっているが、リバプールはカップ戦にめっぽう強く、2シーズン前のCL決勝でミラン相手に0-3からの大逆転勝ち(同点に追いつきPK戦で勝利)など数々の伝説を作ったクラブ。それに元バルサのレイナ、ルイス・ガルシア、さらにはリーガで活躍したシャビ・アロンソやベニテス監督など、バルサの手の内を知っている人物が多くいる。けっして侮れない相手だ。それにリバプールは熱いサポーターを抱えている。アンフィールドはもちろん、カンプ・ノウにも多く押しかけてくるだろう。チケット争奪戦も大変そうだ。残りのカードは以下の通り。PSVvsアーセナルセルティックvsミランリールvsマンチェスター・ユナイテッドレアル・マドリーvsバイエルン・ミュンヘンローマvsリヨンインテルvsバレンシアポルトvsチェルシー
2006年12月16日
14日のクラブW杯準決勝。バルサは4-0で北中米カリブ海代表のクラブアメリカに圧勝。コンディション不良なうえ、相手はなかなかの強豪で、もっと苦戦するかと思ったが、思った以上の大差となった。試合のあったスペイン時間の午前中は所用があり、後半は近所のバルで観戦。帰宅後、VTRで前半を見た。ちょっと仕事を抜け出してきてた感じの人もバルにいた。試合の詳細は周知の事実なので省略するが、バルデスの前半の好セーブは大きかったと思う。ロナウジーニョらのスーパープレーのたびに起こった、日本人独特の「Ooh!」という驚きの表現はスペイン人記者たちの耳に強く残ったようで、多くのメディアがこの歓声について触れていた。試合前にスタンドに掲げられていた「クラブ以上の存在」と日本語で書かれたビッグフラッグには驚いた。他にも、カタルーニャ州議会のエルネスト・べナク議長とバルサの幹部たちが議員会館に日本の政治家たちを表敬訪問したり、バルサの選手たちが秋葉原の量販店に買い物にきた様子などがテレビのニュースで流され、とても興味深かった。17日の決勝が楽しみだ。
バルサの有名なモットーMés que un club。日本語だと「クラブ以上の存在」。しかし、13日付のスペインのスポーツ紙、MUNDO DEPORTIVO(ムンド・デポルティーボ)の1面は(ºдº)!?⊃д⊂ゴシゴシ(ºдº)思いっきり反転して印刷してるYO!上下ひっくり返して、裏から透かして読まないと方向あってない!整理記者も校閲も、誰も日本語わかんなかったんだろうなあ・・・。
2006年12月13日
バルサがクラブW杯出場のため来日。バルサTVを見てたら、懐かしい日本の風景が目に入る。横浜F・マリノスの新しい練習場で12日の午前中練習をしたバルサは、夜は等々力競技場でソシオ向けに公開練習。多くのソシオが集まり、himne(イムネ、チームの歌)を歌っていたのにはびっくり。歓迎ボードを持って現れたふろん太くんには少し萌えた。他にも早稲田大学でクラブのマーケティング担当のエステベ・カルサーダ氏の講演、さらにチャビ、ロナウジーニョ、プジョールの記者会見、ライカールト監督のインタビューの映像などが流れていた。スペインでの試合中継はカタルーニャ州ローカル放送のTV3(テーベー・トレス)は、早々と放映権を持つMediapro(メディアプロ)と合意。一方で全国ネットの局との交渉が難航していた。しかし、スペインには国民の関心の高いスポーツイベントに関しては、国民全員が簡単に見られるようにしなければならないという法律があり、全国ネットのlaSexta(ラ・セクスタ)ともなんとか合意に達した。それなりに、スペイン国内でもこの大会への関心は高いようだ。
包みを開けると素敵なセーター。¡Muchas gracias a mi papá noel!Va a venir desde Barcelona pronto.
2006年12月12日
9日のリーガ第14節。バルサは19位と低迷するレアル・ソシエダとホームで対戦した。この日は「連帯の節」ということで、カンプ・ノウの前には国連児童基金(Unicef)など、社会福祉団体のブースが設けられた。また21日のアトレティコ・マドリー戦に、恵まれない子供たちへのクリスマスプレゼント持参をサポーターに呼びかけた。試合は序盤からバルサペース。しかし、グジョンセン、ジュリが再三オフサイドを取られ、チャンスになかなかならない。フィダルゴ副審には大ブーイング。フィダルゴ副審があわや負傷退場かというときには喝采があがった。また、27分にはプジョールが腰の打撲でオレゲールと交代。いやな空気が流れる。31分にはベレッチのクロスからロナウジーニョがシザースでシュートも外れる。それでも60分、ジュリの右サイドからのセンタリングをロナウジーニョが決め、バルサが先制。しかし、なかなか追加点が取れない。62分と80分のチャビのシュートは決まらず、65分にデコに代え投入され、リーガ通算100戦目の出場となるイニエスタが77分に倒されるもPKはなし。さらに悪いことに、シウビーニョがわずか1分間で2度警告を受け、85分に退場となる。ロスタイムにはアギレチェのシュートは上へ。さらにソシエダのCK、その後のミケル・ゴンサレスのシュートは、バルデスがすばらしいセーブ。この後のCKもバルサはしのぎきり、1-0で辛くも勝利。首位を守った。試合後、審判団には容赦なくブーイングが浴びせられた。バルサは10日にクラブW杯のために日本へ出発。14日に全北現代vsクラブ・アメリカの勝者と準決勝、17日に決勝か3位決定戦を戦う。リーガの次節ベティス戦は延期となり、次戦は21日のホームでのアトレティコ戦となる。
2006年12月10日
フランスの日刊紙「ル・モンド」が、自転車選手に対するドーピングを行なったエウフェミアーノ・フエンテス医師がバルサ、R・マドリー、バレンシア、ベティスとも関係を持っていたとの記事を掲載し、スペイン中に波紋を広げている。チームドクターのみならず選手個人とも付き合いがあったと同紙は報道しているが、4クラブとも即座に否定。7日のバルサTVのニュースでもこの旨が流された。バルサは法的手段も辞さないとしている。これからの行方に注目したい。
2006年12月08日
5日のUEFAチャンピオンズリーグ第6節。A組のバルサはホームでベルダー・ブレーメンと対戦。バルサは勝たないと決勝トーナメントへ行けない重要な1戦。カンプ・ノウには今季最高、歴代9位の9万5824人の観衆がつめかけた。試合開始前にはLateral(バックスタンド)でSOM HI TOTS!(さあ行くぜ)という人文字が表示された。試合は序盤、バルサが攻勢に出る。3分、ジュリのセンタリング。これはグジョンセンには合わず。しかし13分、バルサはゴール正面のFK。これをロナウジーニョが今まで見せたことないグラウンダーのFK。ジャンプするW・ブレーメンの壁の下をくぐり抜け、見事なゴール。カンプ・ノウが一気にわく。18分にはジュリのセンタリングをグジョンセンが決め、早くも2点リード。しかし、その後も攻勢に出るも追加点が取れない。35分にはデコのパスを受けたグジョンセンが突破しシュート。ポストに当たりジュリの目の前にこぼれるが、ジュリのシュートはあさっての方向へ飛んでしまう。2-0のリードはとても危険で、気の抜けない時間が続く。後半はW・ブレーメンが攻勢に。48分のディエゴのオーバーヘッドは左へ。60分のジェンセンのクロスのようなシュートはポストを叩く。73分にこの試合もきれていたイニエスタが負傷でチャビと交代。80分にはW・ブレーメンはDFウォメを外しFWハントを入れ、攻撃にかける。しかしバルサはしのぎ、2-0で勝利した。A組のもう1戦はチェルシーが2-0でレフスキ・ソフィアに勝利。これで1位が勝ち点13のチェルシー、2位が11のバルサ、3位が10のW・ブレーメン、4位が0のレフスキとなり、チェルシーとバルサが決勝トーナメントに進出した。試合後、ロナウジーニョはLateralのサポーターにまであいさつに出向き、アンダーシャツを投げ入れた。
2006年12月06日
Jリーグは福岡vs神戸の決戦を残すのみとなったが、我らがFC東京もいろいろ動きがあったらしい。うれしかったのはなんと言っても原博実監督の復帰。解説者としての原さんが好きなヒロミスタには悪いが、やはり彼には青赤が似合う。今季は歯車が狂ったまま終わってしまったようだが、またあの魅力的な攻撃サッカーを見せてほしい。そして、残念なのは退団選手。6年間背番号10を背負った三浦文丈は引退。2002年に大けがを負った時は「やはり東京の10は呪われているのか」とか思ってしまったが、ベテランとして若手の多いチームを長く引っぱってくれた。そして退団するジャーンと遠藤大志。ジャーンは見てて本当に安心できるDFで、2年前のスペイン遠征でもデポルティーボのFWたちに空中戦で仕事をさせなかった。遠藤大志はもはや数少ない東京ガス時代からの生え抜き。あまり出番はなかったけど、まさに東京の歴史の一部だった。やはり、この季節は寂しいことが多い。
2006年12月05日
2日のリーガ第13節。バルサはアウェーでレバンテと対戦。先発からロナウジーニョは外れ、この位置にイニエスタが起用された。また、けがのマルケスに代わりテュラムが入った。前半は圧倒的なバルサペース。74%ものボール支配率。それでも、レバンテに何度かカウンターを許すが、35分と37分のピンチはバルデスがセーブする。そして40分、デコがFKを直接決め、バルサが先制。ロナウジーニョの手のアクションで、「負けてないだろう」とアピールした。後半はレバンテに再三カウンターを許す。バルデスが好セーブでしのいでいたが76分、エティアンのシュートをバルデスが弾き、カポがつないでアルバロが決め、レバンテが追いついた。1-1で試合終了。5日にUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)のベルダー・ブレーメン戦があるせいか、バルサにいつもの迫力がなかった。試合後、ライカールト監督もデコもそのCLの影響は認めていた。3日にセビージャがエスパニョールに2-1で敗れたため、バルサは首位を守った。バルサは次節、9日にホームでレアル・ソシエダと対戦する。
2006年12月04日
今季バルサから母国スウェーデンのヘルシンボリに移籍したラーションが、来年1月1日から3月12日までマンチェスター・ユナイテッドでプレーすることになった。スウェーデンリーグのないこの期間は、バルサもラーション獲得のうわさがあった。他チームに行ってしまったということは、バルサがあまり熱心ではなかったのだろう。なんとも残念だが、マンUでもラーションには頑張ってほしい。私はラーションのバルサでのすばらしいプレーの数々は忘れない。
2006年12月02日
FIFAは12月に日本で行なわれるクラブW杯出場クラブの登録選手を発表。本命視されるバルサは、Bチームの期待の星、ドス・サントスをメンバーに入れた。Bチームからはマルク・クロサスも選ばれた。また、負傷離脱中のサビオラも復帰を見越して登録されている。バルサの全登録選手は下記の通り。GKバルデスジョルケラルベンDFベレッチマルケスプジョールザンブロッタファンブロンクホルストエジミウソンシウビーニョテュラムオレゲールMFチャビデコイニエスタモッタマルク・クロサスFWグジョンセンジュリロナウジーニョエスケーロサビオラドス・サントス
2006年11月30日
なぜかあまりスペインで話題になっていないこの事件。いくら空き地でも私有地に勝手に入っちゃ不法侵入だし、ただでさえ誘拐等のターゲットになっていると言われ、警備の厳しいベッカム邸にそんな怪しげに近づいたらどうなるかわかりそうなのに。「現地取材に詳しい人が同行した」という情報もあるが、本当かと疑ってしまう。スペインでは警官ではなく警備員でも武装していることが多く、本当に容赦ないので、軽率な行動は命取りになりかねない。
2006年11月27日
25日のリーガ第12節。バルサはホームでビジャレアルと対戦した。バルサは久々にテュラム、エジミウソンが先発。一方のビジャレアルはリケルメが妻の出産のためアルゼンチンに帰国し、欠場した。試合前に先日発表されたCMを場内で放送。その際、日テレでも放送されていることがアナウンスされた。また下の写真の通り、この日のマッチデープログラムでも同様の紹介がなされた。下の写真の横断幕には、「カンナバーロがバロンドール?ははは。プジョールの方が上だよ」と書いてある。試合は一進一退の展開。しかし、33分にグジョンセンが倒され、またも微妙な判定のPKを奪取。34分にロナウジーニョがこれを決め、バルサが先制。ロナウジーニョはこのゴールがリーガ通算50点目だった。ここからは一方的なバルサペース。55分にはイニエスタの右サイドからのクロスをグジョンセンがヘッドで合わせ2点目。71分にはザンブロッタのクロスをイニエスタがジャンピングボレー。これが鮮やかに決まり、3点目となった。クライマックスは88分。チャビのクロスをロナウジーニョが胸でトラップ。少し大きいかと思ったが、なんとオーバーヘッド。ゴールに吸い込まれた。カンプ・ノウの観衆はスタンディング・オベーション。さらに、白いハンカチが一斉に振られた。闘牛に由来するこの行為。不満を表現するために振ってるのは何度も見たが、すばらしいプレーに対し振られるのは初めて見た。バルサが4-0で勝利。3連勝で首位を守った。バルサは次節、12月2日にアウェーでレバンテと対戦する。
22日のUEFAチャンピオンズリーグ第5節。バルサはアウェーでレフスキ・ソフィアと対戦した。開始5分、ザンブロッタのクロスをグジョンセンがヘッドで落とす。相手DFに当たり跳ね返ったところにジュリが走りこみシュート。これが決まりバルサが先制した。30分を越えたところからレフスキのペース。31分にはボリミロフが惜しいシュートを放つ。前半はレフスキのボール支配率が51%もあった。後半はバルサのペース。58分にジュリに代えチャビを投入。イニエスタがジュリのいた右サイドのFWをこなす。65分、デコがシュート。ペトコフが弾いたがイニエスタが押し込んだ。0-2でバルサが勝利。A組のもう1戦はベルダー・ブレーメンがホームでチェルシーを1-0で破った。これにより、チェルシーとW・ブレーメンが勝ち点10で並んだが、直接対決の成績でW・ブレーメンとバルサを上回るチェルシーの16強が決まった。W・ブレーメンと勝ち点8のバルサは、12月5日にもう1つの椅子をめぐってカンプ・ノウで戦う。バルサがグループリーグを突破する条件は、勝利しかない。まさに大一番だ。
2006年11月24日
矢島金太郎の年収が3兆円って・・・。もはやサラリーマンの年収じゃなくてどっかの国の予算じゃ。今はファンドマネージャーってことすら知らんかったよ。
2006年11月22日
バルサは20日、カンプ・ノウでCMの発表を行なった。国連児童基金(Unicef)との協力を中心に、バルサがMés que un club(クラブ以上の存在)であることを強調。2作あるが、どちらも力作だ。また、驚いたことに日本語も含めた7つの言語で製作され、五大陸(報道によると128か国)で放送。放送局の1つとして日テレも紹介されている。クラブW杯の影響だろう。
19日のリーガ第11節。バルサはアウェーでマジョルカと対戦した。マジョルカの本拠地は昨季までソン・モッシュと呼ばれていたが、命名権をスペインの大手通信会社、ONOに売却し、オノ・エスタディと呼ばれるようになった。我が家のプロバイダーもONOである。バルサは前節サラゴサ戦で退場となったモッタが、出場停止を取り消され先発。オレゲールも右SBで先発した。また、負傷明けのエジミウソンとチャビがベンチ入りした。試合は、引いたマジョルカがバルサの中盤を徹底的につぶし、序盤は動きに乏しい展開。しかし33分にモッタがCKをヘッドで合わせる。これはプラッツが好セーブ。さらに35分にはバシナスがロングシュート。これはバルデスがなんとか弾く。ここから試合が動き出す。そして41分、ロナウジーニョのパスをデコがワンタッチでグジョンセンにパス。これを落ち着いて決め、バルサが先制した。グジョンセンは58分にもイニエスタのスルーパスを押し込み、2点目。マジョルカも途中出場のビクトルがマルケスの軽い守備をかわし、1点を返す。だが、マジョルカは81分にバレラが2度目の警告で退場。この直後の85分、ロナウジーニョのパスを受けたイニエスタが冷静にプラッツをかわし、バルサの3点目。ロスタイムにはロナウジーニョのループパスを今度はエスケーロが見事なシュートを叩き込んだ。1-4でバルサが勝利。連勝で首位を守った。ロナウジーニョ、グジョンセンはもちろんだが、あまりすごみを感じないけどイニエスタがひじょうによかった。けがが治ったチャビも、今のイニエスタに取って代わるのは大変だろう。スタンドに息子と一緒にいたエトーが再三映し出されていたが、グジョンセンのゴールにはノーリアクションで、イニエスタのゴールに拍手していたのには笑った。バルサは次節は25日にホームでビジャレアルと対戦。その前の22日にアウェーでのUEFAチャンピオンズリーグ、レフスキ・ソフィア戦がある。翌日、我が家のネットが回線障害。ONOに問い合わせの電話をしたら、「現在一部地域でネットの障害が起こっています。しばらく復旧までお待ちください」とテープの声。思わぬ逆襲。おかげで大事な用事をふいにしてしまった。
2006年11月21日
バルサは12月に出場する、日本でのクラブW杯のチケットを、ソシオ向けに500枚発売した。またサプライヤーである旅行会社、RACCがツアーを企画。3つのツアーの値段は1760ユーロ(約26万4000円)、2530ユーロ(約37万9500円)、3265ユーロ(約48万9700円)となっている(チケット代、空港使用料は別)。いずれも、結構な高級ホテル宿泊。なお、ランクが上の2つは行きも帰りもチャーター便。かなりお高い。行く人は限られているだろう。それにしても、カンプ・ノウに慣れてる人たちには、横浜国際総合競技場(大会期間中の名称は日産スタジアムから変更)の見づらさにはびっくりするだろうな・・・。
2006年11月17日
バルサのボランチとして活躍したグアルディオラが、ラジオ、RAC-1の番組内で引退を表明した。グアルディオラはバルサのカンテラ(下部組織)出身で、1990~2001までバルサのトップチームに在籍。見事なサイドチェンジで、中盤の底からバルサの攻撃を組み立て、人々を魅了した。バルサ退団後は、イタリアのブレシアとローマ、カタールのアル・アリ、メキシコのドラドスと世界中を転々としていた。スペイン代表では1994年米国W杯、EURO96(イングランド)、EURO2000(オランダ、ベルギー)に出場したが全てベスト8止まり。キャリアのピークだった1998年フランスW杯、2002日韓W杯はけがで棒に振った。1992年のバルセロナ五輪では金メダルを獲得している。私は生ではバルサで1回、カタルーニャ州代表で1回見ただけだが、初めてバルサで見たときにはグアルディオラのパスがきれいに両サイドに通るのを見て、ゾクッときたものだった。今後は指導者を目指すとのこと。カタルーニャとバルサの象徴だっただけに、今後も注目したい。
2006年11月15日
12日のリーガ第10節。2位のバルサは3位のサラゴサと対戦。この試合の前に首位のセビージャがラシンに引き分け、勝った方が首位という、重要な1戦になった。試合前、父親が亡くなったプジョール、そして元バルサの選手だった兄、セルジ・ロペス氏が亡くなった元バルサで現モナコのジェラールを励ます横断幕が南側ゴール裏に現れた。プジョールが最初にボールを持った時は、大拍手だった。バルサはグジョンセンが復帰。けがのチャビに代わり、イニエスタがスタメンに入った。序盤バルサが圧倒的にボールを支配も16分、サラゴサはCKにガブリエル・ミリートが合わせ先制。さらに、8分にサパテールのタックルを受けたメッシが、22分に交代。エジミウソンも負傷で28分に交代した。嫌な空気が流れるも30分にバルサのCKにロナウジーニョがヘッドで合わせ、同点に。このまま前半を終える。72分、モッタが手でディエゴ・ミリートをブロック。この時、軽く手がディエゴ・ミリートに当たり、ディエゴ・ミリートは大げさに倒れこむ。ラファエル・ゲレーロ副審はイトゥラルデ・ゴンサレス主審に「モッタは相手を殴った」と報告したらしく、モッタが退場に。これにバルサは激怒し、ベンチからほぼ全員が抗議に行き、両軍、審判がもみ合いとなる。カンプ・ノウは騒然。下の写真の左側では、ゲレーロ副審にバルサの選手たちが詰め寄っている。この騒ぎで、バルサはモッタ以外にニースケンス・コーチ、ナバル主務まで退場となる。このゲレーロ副審、10年前も同じカードで物議をかもす報告を主審に行なっている。しかし、直後の73分には決定機でガブリエル・ミリートがサビオラを倒し、サラゴサも10人になる。そして最後に試合を決めたのはロナウジーニョ。85分に完ぺきなFKをゴールに叩き込む。ロスタイムにもロナウジーニョがFKを蹴る。そしてクロスバーに当たったボールを、オフサイドポジションにいたサビオラが押し込み、バルサの3点目となった。序盤はミスの多かったロナウジーニョだったが、終盤は神がかっていた。バルサが3-1で勝ち、首位を奪還した。しかし代償は大きく、メッシは左足第五中即骨骨折で全治3か月。サビオラは左足の筋肉を痛め全治1か月半。エジミウソンは右足首を痛め全治10日。イニエスタも軽症ながらひざを痛め、スペイン代表を辞退した。エトーも含めFWを中心にけが人が続出。これからいったいどうなってしまうのだろうか。バルサは次節、19日にアウェーでマジョルカと対戦する。
2006年11月14日
8日の国王杯、バルサはバダロナ(2部B)と第2戦を行なった。平日22時キックオフ、相手は明らかに格下、第1戦ですでにバルサが勝利、ロナウジーニョら温存は確実など、集客が見込めない試合なのは明らかだった。カンプ・ノウの前でラジオ局に「主力は出ないのは知っているのか?なんで見に来たんだ?」と取材を受ける。一応、「バルサの試合はいつも見に来ている。誰が出ようが関係はない」と答えた。写真の通り、キックオフ時間になってもガラガラ。観衆は1万2916人。ソシオ(会員)向けの一番安い席で11ユーロ(約1650円)。もっと安くてもいいのではと感じたが、家でPPVで見ても11.29ユーロ(約1700円)かかるので、見に来ることにしたのだった。カンプ・ノウで試合をするには1試合あたり10万ユーロ(約1500万円)経費がかかるらしいので、この観客数では赤字ではないだろうか。あんまり空いてるから真ん中に移動しようかと思ったが、近くにいたスコットランド人とギリシャ人に呼び止められる。スコットランド人はバルセロナにしょっちゅう来る建築家でセルティックの大ファン。中村俊輔を絶賛していた。2人いたギリシャ人は旅行者で、オリンピアコスの大ファンとのことだった。試合は23分、ベレッチのクロスをGKが弾き、この日中盤に入っていたファンブロンクホルストが押し込み、バルサが先制。40分にはファンブロンクホルストのクロスに久々に先発のエスケーロがヘッドで合わせ追加点。78分には途中出場のクロサスのセンタリングをジュリがつないでサビオラが決める。サビオラは82分にもクロサスのアシストでこの日2点目。直後に軽い負傷で交代した。バルサが4-0で快勝。2戦計6-1で次のラウンドに駒を進めた。なお、昨季覇者のエスパニョールがラージョ・バジェカーノ(2部B)に、2戦計1-2で敗れる波乱があった。
2006年11月10日
世界中の4万3000人の選手の投票によって決まるFIFProベストプレイヤーに、バルサのロナウジーニョが2年連続で選ばれた。また、ベストイレブンは下記の通り。GK:ブッフォン(ユベントス)DF:テュラム(バルサ) カンナバーロ(R・マドリー) テリー(チェルシー) ザンブロッタ(バルサ)MF:ピルロ(ミラン) カカ(ミラン) ジダン(引退)FW:アンリ(アーセナル) ロナウジーニョ(バルサ) エトー(バルサ)バルサと、W杯で活躍した選手中心に選ばれた。また、バルサからはメッシが最優秀若手賞、エトーが功労賞に選ばれ、国連児童基金(Unicef)に協力したバルサが平和賞を受賞した。また、期待の若手として、クリスティアーノ・ロナウド(マンチェスター・ユナイテッド)も表彰された。
2006年11月08日
4日の第9節、バルサはアウェーでデポルティーボと対戦した。バルサはチャビが左足けい骨骨折、グジョンセンは左足首負傷、プジョールは父親の死去で欠場。イニエスタ、サビオラ、テュラムが先発した。リアソールにはプジョールを励ます多くの横断幕があった。試合は39分、サビオラがペナルティエリア内でファウルを受けバルサにPK。これをロナウジーニョが確実に決め、バルサが先制。ロナウジーニョは両人指し指を天に指し、哀悼の意を捧げた。後半はデポルティーボがペースをつかむ。バルサB出身のベルドゥ、クリスティアンら若い戦力が力を見せる。61分、この日キレキレのイニエスタが見事な個人技でペナルティエリアに侵入。アオアテに倒されるもファウルではなかった。そして71分、エジミウソンがシュートを放ったベルドゥに対しアフタータックルでデポルティーボにPK。73分、いったんはバルデスがエストヤノフのPKを止めるも、フアン・ロドリゲスに押し込まれて、追いつかれた。このシュートもバルデスが触ってはいたが。試合は1-1で終了した。5日、セビージャがオサスナに2-0で勝ったため、バルサは首位を明け渡した。
2006年11月05日
バルサの主将プジョールの父、ジョセップ・プジョール氏が3日、56歳で死去した。原因はサロカ・デ・ベジェラ(カタルーニャ州リェイダ県)での道路工事の仕事中に、ショベルカーの横転事故に巻き込まれたためという。4日のデポルティーボ戦のため来ていたラ・コルーニャの空港で訃報を知ったプジョールは、そのままバルセロナに戻り、代理人のラモン・ソストレス氏、バルサのラポルタ会長、恋人であるアグネスにプラット空港で迎えられ、すぐ故郷のラ・ポブラ・デ・セグールに戻った。当然、4日の試合は欠場する。謹んでご冥福をお祈りいたします。
2006年11月04日
少し前の話になるけど、10月28日に「ワールドシリーズbyルノー」という、ルノーのイベントを見るために、バルセロナ近郊、モンメロにあるカタロニア・サーキットに行ってきた。2年半バルセロナにいるが、ここに行ったのは初めてだった。最大のお目当てはもちろんルノーF1のデモ走行。さすがにフェルナンド・アロンソは来なかったが、往年の名ラリーレーサーで、レアル・マドリーの会長選に立候補の話もあったカルロス・サインツ氏が運転。畑違いのマシンにもかかわらず、華麗な走りでファンをわかせた。F1は最新マシンのみならず、懐かしいベネトン・ルノーやウィリアムズ・ルノーも展示。他に市販車やラリー車の展示も。ルノーF1チーム仕様のメガーヌがあった。さらに、普段は入れないピットガレージも開放。ガレージの上にも登ることができ、なんとも言えない喜びだった。水色と黄色に身を包んだ多くのファンが訪れたが、来年のスペインGPの時にはみんな銀色のマクラーレンのウェアに衣替えしてるのだろうか?ただ、アロンソの出身地であるアストゥーリアス州の旗の色は水色と黄色だし、来年のスタンドカラーが気になるところだ。
2006年11月03日
10月31日のUEFAチャンピオンズリーグ第4節。グループAのバルサはチェルシーとホームで対戦した。最初のチケットの発売時はすぐ売り切れたが、その後年間シートやチェルシーのサポーター枠にキャンセルが出たこともあり、当日券も販売。観衆は9万199人と思ったより少なめ。私はゴール裏3階で観戦。最上段だった。傾斜がきついため、1階に比べたらゴール裏でも見やすい。ただ、少しこわもての人が多いし、煙の臭いが気になるが。バルサは先発にモッタを起用。両SBはザンブロッタ、ファンブロンクホルストだった。チェルシーはシェフチェンコが欠場した。試合は3分、デコが左サイドから切り込み、ミドル。これが決まり、バルサがいきなり先制した。32分にエシエンがヘッド。これはバルデスがセーブ。この後もチェルシーがCKからチャンスを作るもバルサがしのぎ、前半は1-0で折り返した。後半も立ち上がりからチェルシーが攻勢。52分、ランパードが角度がほとんどないところからシュート。これが見事に決まり、チェルシーが追いつく。しかし58分、ここまであまり目立たなかったロナウジーニョがDFをかわし左サイドからセンタリング。これにグジョンセンが飛び込んでバルサが再びリードする。チェルシーは75分にブラルスに代えジョー・コールを投入。エシエンを右SBに入れたが、これが結果的に大当たりする。ロスタイム、エシエンが浅いところからクロス。テリーが折り返しドログバが起死回生の同点弾を決めた。試合は2-2で終了。試合後、ライカールト監督は真っ先にファリナ主審のもとに行き、ロスタイムが1分短いと、血相を変えて抗議。イエローカードが10枚と、かなり神経質な判定に疑問を感じる試合だった。これでグループAはチェルシーが勝ち点9、ベルダー・ブレーメンが7、バルサが5、レフスキ・ソフィアが0。バルサは自力で決勝トーナメントに行くには、22日のレフスキ戦と12月5日のW・ブレーメン戦に連勝するしかなくなった。
2006年11月02日
28日のリーガ第8節。バルサはホームでレクレアティーボと対戦した。右SBにはセビージャ戦での肩の脱臼から復帰したベレッチが、右のFWにはジュリが入った。26分、グジョンセンがペナルティエリア内で倒される。微妙な判定だったが、バルサにPKが与えられ、28分にロナウジーニョが確実にこれを決め、バルサが先制。写真はその直後のもの。この後もバルサが圧倒。56分にはシウビーニョのクロスをロナウジーニョがヘッドで合わせ2点目。59分にはベレッチのクロスにチャビがヘッドで合わせてダメ押しとなった。3-0でバルサが快勝。31日のUEFAチャンピオンズリーグ、チェルシー戦を前にいい景気づけになった。この試合では、ベレッチ、シウビーニョの両SBがよかった。チェルシー戦でも起用のうわさがあるが、どうなるだろうか。バルサは次節のリーガは、アウェーでデポルティーボと対戦する。
2006年10月31日
バルサは27日、2008年で切れるナイキとのサプライヤー契約を2013年まで延長することで合意したと発表した。契約料は5年で1億5000万ユーロ(約225億円)と、現行の倍近くになる。先に「プーマと合意」と報じた、スペインのスポーツ紙MUNDO DEPORTIVO(ムンド・デポルティーボ)は「本紙のプーマからのオファー(合意から変えてある)報道後、ナイキが条件を上げた」と記事内に記載した。
25日の国王杯、バルサは2部Bのバダロナとアウェーで対戦した。バダロナはバルセロナの隣町で、ほぼ満員の8000人の観衆がつめかけた。バルサはグジョンセンが中盤で先発。3トップはジュリ、エスケーロ、サビオラで臨んだ。またCBにオレゲール、GKにジョルケラが久々に入った。序盤から何度もバダロナがサイドからチャンスを作る。25分、35分のピンチはジョルケラがセーブ。その後も、プジョールとジョルケラが中心となって、なんとかしのいだ。後半に入り、主導権をつかんだバルサは63分、サビオラがDFをかわし技ありのクロス。DFがクリアしたボールをグジョンセンが押し込み、バルサが先制。77分にはエスケーロの強烈なシュートをGKが弾き、再びグジョンセンが詰め、追加点をあげた。ロスタイム、オレゲールがイサイアスを押し、バダロナにPK。これをタラデジャスが決める。試合は1-2でバルサが勝利。バルサはセビージャ戦以来3戦ぶりの勝利とゴールをあげた。試合中から乱入者が絶えなかったが、試合後は大量のファンが乱入し、収拾がつかなくなった。この日、R・マドリーが同じく2部Bのエシハに1-1で引き分ける波乱があった。このカードの第2戦は11月8日にカンプ・ノウで行なわれる。
2006年10月27日
コメント(4)
22日のF1ブラジルGP決勝。スペインではTelecinco(テレシンコ、全国放送局)とTV3(テーベー・トレス、カタルーニャ州ローカル局)で放送されたが、平均視聴者数は両局あわせて約930万人、占拠率は60%にものぼった。アロンソがゴールした20時35分には視聴者数1218万8000人、占拠率は72.4%。スペイン人の4人に1人は見ていたことになる。一方のクラシコは有料衛星放送のCANAL+(カナル・プリュス)で放送。全契約者のうちの約60%にあたる142万6000件で視聴された。平均視聴者数は1件が3.2人として454万7200人。平均占拠率は8.4%。22時42分には占拠率は9.6%。167万7000件で視聴された。東に住んでいる全くF1に関心のなかった彼女が、最近話を合わせてくれるようになったのがすごくうれしい。
2006年10月24日
22日、F1最終戦ブラジルGP決勝が行われた。クラシコが行なわれたサンティアゴ・ベルナベウでも中継されたこのレース。4番手スタートのアロンソが2位でゴールし、2年連続総合優勝を、昨季と同じインテルラゴスで決めた。レース後、アロンソの出身地であるアストゥーリアス州のオビエドでは多くの人が熱狂。街の中心のアメリカ広場には多くの人が集まった。そして、現役最後のレースとなったM・シューマッハ。予選では最終アタックを走れず10番手スタート。決勝ではタイヤのパンクで一時は最下位まで落ちるも、これぞ皇帝と言わせしめる走りで4位でフィニッシュ。最後にすばらしいレースを見せてくれた。来季、アロンソはマクラーレンに移籍。今季マクラーレンは勝利なしでかなり不安だが、アロンソが立て直すと信じたい。来季、スペインGPを観に行くことを早々に決めた。
22日のリーガ第7節、バルサはアウェーでレアル・マドリーと対戦した。先発を見てまず驚いたのは、バルサが中盤に守備を得意とする選手を全く置かなかったことだった。第一の関心はここだった。3分、セルヒオ・ラモスの右サイドのクロスをラウールがヘッドで合わせ、R・マドリーがいきなり先制。バルサはあまり攻撃的な布陣の中盤が機能せず、R・マドリーに簡単にボールを奪われ速攻を許す。バルサはなかなか速攻を止められない。R・マドリーはとにかくプレッシングと速攻を徹底させていた。そんな中、バルサはメッシが孤軍奮闘。25分、メッシがカンナバーロとロベルト・カルロスをぶっちぎり、センタリング。しかし、グジョンセンのシュートが枠にいかず、失望させる。後半開始早々の51分には、カウンターからファンニステルローイがR・マドリーの2点目を決める。バルサは55分にパスミスの目立ったデコに代えジュリ、66分に再三チャンスをつぶしたグジョンセンに代えサビオラを投入も及ばず、2-0で完敗。今季リーガ初敗戦となった。18日のUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)のチェルシー戦に続く完敗。しかも2戦連続零封負けで、やはりエトーの穴は大きいのかと考えてしまう。R・マドリーは前節のヘタフェ戦の完敗後、17日のCLステアウア・ブカレスト戦でうまく立て直し、この大一番をものにした。エメルソンは退場してもおかしくなかったが、判定にも救われた。バルサは得失点差で首位だが、勝ち点は16でバレンシアに並ばれた。R・マドリーは勝ち点14で4位に浮上した。バルサは次節は28日にレクレアティーボと対戦。その前に、25日に国王杯でバダロナと対戦する。
バルセロナ市のジョルディ・エレウ市長は、バルサに対し、カンプ・ノウ周辺の再開発に関する提案を行なった。だが、市とバルサの考えにはまだ相違があるようだ。ここで出てきた計画とは、2010年に計画されているカンプ・ノウの座席の増設の際、ミニエスタディを壊し、ホテルなどを建設。パラウ・ブラウグラーナも撤去し、そこに多目的ホールを建て、カンプ・ノウとそのホールの周辺を公共スペースにするというもの。現在のトップチームの練習場であるラ・マシアもなくなるようだ。カンプ・ノウ周辺はバルセロナ有数の一等地だし、市も大きな関心をよせている。バルサは郊外のサン・ジョアン・デスピーにジョアン・ガンペールという広大な練習場を建設。スタンド付きのピッチもあり、カンテラの練習はすでにそこで行なっている。トップチームの練習やカンテラの試合も十分そこで行なえるし、ミニエスタディやラ・マシアがなくなるのもそう遠くないのかもしれない。
2006年10月20日
18日のUEFAチャンピオンズリーグ第3節。グループAのバルサはアウェーでチェルシーと対戦した。チェルシーはチェフ、グディチーニが負傷のため、ポルト時代にバルサにボコボコにされたという第3GKのイラリオが登場。バルサはエトーを除きほぼベストの布陣で臨んだ。序盤から、チェルシーの激しいプレッシングとスペースをしっかり埋める堅守が目立つ。さらに、エシエンを中心に何度も速攻を仕掛ける。16分にシェフチェンコがあと一歩まで迫るが、マルケスがギリギリでクリア。チャンスをなかなか作れないバルサは、29分にチャビが強烈なシュート。イラリオが弾いたが、これは枠をとらえてはいなかった。前半は0-0で折り返す。後半開始直後の47分アシュリー・コールの左サイドからのクロスを受けたドログバが、同じ方向に動いてしまったプジョールとマルケスをきれいにかわし、得意の強烈なミドルシュートを決め、チェルシーが先制した。バルサは攻撃に出るため、イニエスタを投入。しかし予想されたエジミウソンとではなく、ファンブロンクホルストと交代で、システムを3-4-3にする。これで左サイドからの攻撃があまりなくなったうえ、前がかりになり、サイドに空いたスペースをチェルシーに何度もつかれピンチとなる。さらに、73分にはプジョールが負傷でオレゲールと交代。試合は0-1でバルサは敗戦した。はっきり言って完敗の一言につきる。チェルシーは90分間本当に集中が切れなかったし、イラリオは足技がぎこちなかったが任務をこなした。バルサのシステム変更は、残念ながら機能したとは言えなかっただろう。チェルシーで驚いたのは、シェフチェンコがミラン時代と比べようにならないくらい調子が悪いなということ。これで本調子ならもっと点差は開いていただろう。バルサは次節、31日に今度はホームでチェルシーと対戦する。チェルシーは勝ち点9。バルサはW・ブレーメンと勝ち点4で並んでおり、もう負けは許されない。連覇へ早くも試練だ。なお、プジョールは19日の練習は別メニューだったものの、22日のR・マドリー戦には間にあうもようだ。余談今節のセルティックvsベンフィカ戦。ハーフタイムにセルティック・パークで歌われた「You'll never walk alone」は本当にすばらしかった。スペインの実況も、黙って聞き入っていた。
15日のリーガ第6節。バルサはホームでセビージャと対戦した。この試合、テレビ放送がなかった影響もあり、9万1220人もの観衆がカンプ・ノウにつめかけた。ニュースでダイジェストを流すため、テレビカメラはあったが、いつになく少なく感じた。バルサはプジョール、ザンブロッタ、ファンブロンクホルスト、デコがスタメンを外れ、代わりにテュラム、ベレッチ、シウビーニョ、モッタが入った。18日にUEFAチャンピオンズリーグのチェルシー戦が控えてるというのはあるが、好調セビージャ相手にかなり大胆なローテーションを実行した。ひじょうに見ごたえのある試合だった。セビージャはダニエウ・アウベス、ナバスら右サイドを中心に積極的な攻めを見せる。ポールセン、レナートも積極的に前に出る。バルサもロナウジーニョ、メッシを中心に攻撃し、イニエスタがアクセントをつける。25分、ベレッチがペナルティエリア内で倒されPK。これをロナウジーニョが落ち着いて決めてバルサが先制した。ベレッチはこれがリーガ初先発だったが、この時に肩を脱臼し、休ませるはずだったザンブロッタと交代する。37分、ダニエウ・アウベスが右サイドからクロス。レナートがヘッドで折り返し、カヌーテがヘッドで押し込み、セビージャが追いつく。しかし直後の39分。バルサはロナウジーニョが直接FKを叩き込み、再び突き放す。そして圧巻は80分。後方からのロングパスを受けたチャビが右サイドからメッシにパス。メッシはドリブルでDFをかわして突進し、シュート。ダメ押しの3点目をあげた。3-1でバルサが勝利。バレンシアがセルタに敗れたため、バルサは勝ち点16で単独首位に立った。欧州スーパー杯で苦杯をなめさせられたセビージャ相手に、主力を休ませて勝ったのはとても大きい。また、ロナウジーニョとメッシが久々に「らしい」プレーを見せてくれた。ただ、セビージャが引くことなく積極的に戦い、わりとスペースがあったことも事実。堅守速攻を得意とし、引いてしっかりスペースを埋めてくるであろうチェルシー相手に2人はどんなプレーを見せてくれるだろうか。チェルシー戦後のリーガの次節22日のカードは、サンティアゴ・ベルナベウでのR・マドリー戦。宿敵との戦いが続く、正念場がやってきた。
2006年10月17日
15日19時(スペイン時間)に行なわれるバルサvsセビージャは、ついにスペイン国内でも放送されないことになった。セビージャはサンタモニカ・スポルツという会社に放映権を売却。この会社が、他チームのPPVでの放映権を持っているアウディオビジュアル・スポルトという会社と交渉もまとまらなかった。今後も、セビージャ戦のリーガと国王杯のPPVでの放送予定はない。このため、バルサは60万ユーロ(約9000万円)の収入を失うもようだ。
2006年10月15日
最近、K3というカタルーニャ州のローカルチャンネルで平日午後に放送されている「めぞん一刻」を楽しみに見ている。日本で放送されていたとき、私は小学生で、五代や響子の煮え切らない態度にイライラしつつも見ていたものだった。初めてよく見た恋愛ものだったと思う。歳をとった今見てみると、なんだか大人の心の機微というか、そういったものをわかった上で見られるのでまたすごく新鮮な気分だ。それと、80年代の雰囲気がすごく懐かしい。携帯電話などまだなく、一刻館で使われているのは黒電話やピンクの公衆電話。それに登場人物のファッションや建物、車も今見るとすごく違うなと感じる。日本では来年ドラマ化されるらしいが、ぜひとも当時の雰囲気を出してほしい。
2006年10月13日
11日、スペイン代表はひじょうに芝の悪いムルシアで、アルゼンチン代表と親善試合を行なった。不調にあえぐスペイン。この日はチャビがキャプテンマークを巻いた。33分、そのチャビがイニエスタからのパスを受け、豪快なミドルを放ち先制。しかし34分、DFラインの裏に飛び出したメッシのセンタリングをビロスが決め、アルゼンチンが追いつく。試合は一進一退の展開となるが、スペインはイニエスタのパスが攻撃のアクセントとなる。そしてペナルティエリア内でイニエスタが倒されPK。これをビージャが63分に決め、これが決勝点に。2-1でスペインが勝利した。イニエスタの好プレーが特に目立った。今季は積極的に前に出るし、ミドルシュートも目立つ。この日の先発は当たりだった。そしてチャビ、メッシとバルサ勢の活躍が光った。スペインは勝ったものの、ユーロ2008予選で大苦戦しており、アラゴネス監督がいつ辞めるかばかりに注目が集まっている。同日にスペインのF組では3試合が行なわれ、スウェーデンがアイスランドに2-1で勝ち、デンマークはリヒテンシュタインに4-0で勝った。また、北アイルランドはラトビアに1-0で勝った。この結果、1位のスウェーデンは4戦で勝ち点12、2位デンマークは3戦で勝ち点7、3位北アイルランドは4戦で勝ち点7。スペインは3戦を終え勝ち点3の5位と低迷している。現在、アラゴネス監督の後任候補には前エスパニョール監督のロティーナ氏、元R・マドリー監督のデルボスケ氏、前イタリア代表監督のリッピ氏の名があがっているが、まだアラゴネス監督に辞任の気はないようだ。
2006年10月12日
先週末はスペイン中がしらけ、そして熱狂した。まず7日のユーロ2008予選のスウェーデンvsスペイン。スペインのアラゴネス監督はラウールとホアキンを招集しないという荒療治にでた。それでも、スウェーデンの組織だった守備と速攻に手も足も出ず、0-2でスペインは完敗。3試合を終え、得た勝ち点はリヒテンシュタインから得たわずか3にとどまる。グループF内の順位は5位。アラゴネス監督への批判はものすごいことになっているが、本人は辞任の意思はなく、スペインサッカー連盟も解任の動きはない。12日にも契約延長がなされるという報道が流れている。もはや、代表に関してはしらけムードが漂っている。8日は、フェルナンド・アロンソがスペイン中を熱狂の渦に巻き込んだ。F1日本GP。5番手スタートのアロンソはいきなりスタートでトゥルーリをかわし4番手に。その後、順調にラルフ・シューマッハ、マッサも抜きミハエル・シューマッハの後ろにつける。M・シューマッハの6年ぶりのエンジンブローもあり、アロンソが優勝。ブラジルGP1戦のみを残し、M・シューマッハに10ポイント差をつけた。ブラジルGPでアロンソがノーポイントで、M・シューマッハが優勝しない限り、アロンソが総合優勝となる。スペイン時間朝7時のスタートにもかかわらず、アロンソ優勝の瞬間のテレビでの視聴者数は226万1000人、占拠率は77%。スペイン中を熱狂させた。
2006年10月11日
スペインのスポーツ紙、MUNDO DEPORTIVO(ムンド・デポルティーボ)のHPで、「TU 'ONCE’」という、バルサの歴代選手の中からベストイレブンを作るという企画が行なわれている。私のベストイレブンはこちら。GK:ラマレッツDF:プジョール、クーマン、ナダルMF:グアルディオラ、デコ、マラドーナ、ベギリスタインFW:クライフ、ロマーリオ、クバララマレッツ、クバラは現役時代の映像はあまり見たことがないが、この2人がいなければ今のバルサやカンプ・ノウはなかったであろう程の偉大な選手ということで選出。グアルディオラのロングパスは今でも強烈に印象に残っている。本当はリバウドを中盤に入れたかったけど、FWでしかだめだったので残念ながら外した。他にもストイチコフやらニースケンスやら、いっぱい入れたい選手はいるのだが。
2006年10月07日
婚約した彼女とまた離れ離れになって1か月半。向こうも新生活になり、かなり大変な中、来春にこちらに来てくれることになった。どこに連れて行こうか迷ったが、ちょうどバレンシアの火祭りの時期。人形を多く作り、街中を彩り、3月19日の夜にいっせいに燃やす祭だ。バレンシアは4年前に行ったが、スペイン3大祭の1つを見たことがなく、さっそく提案。すんなり了承し、喜んでもらえた。特にクライマックスの3月19日はホテルが取れないので、とにかく早めに予約。やはり通常期より高いが、早目だけあってそれなりのところが押さえられた。バレンシア近郊はオレンジ畑や水田、海岸の風景も美しいし、早く連れて行きたい。他にもいろいろ検討中。まだまだ行きたいところは多く、悩み中。Espero que te diviertas conmigo.
2006年10月06日
9月30日のリーガ第5節、バルサはアウェーでアスレティック・ビルバオと対戦した。試合前、バルサは負傷したエトーを励ますTシャツを着て入場。エトーの代わりにグジョンセンが先発。サビオラはベンチに入った。11分、ジョレンテの左サイドからのクロスにジェステが合わせ、アスレティックが先制。だが19分にアスレティックのカサスが、グジョンセンの決定機をファウルで止め退場。バルサはエジミウソンに代えジュリを入れ、攻勢に出る。そして前半ロスタイム、グジョンセンのクロスにプジョールが合わせ、バルサが同点に追いつく。後半は完全にバルサペース。60分にはチャビの好パスをグジョンセンが決め、逆転。71分にグジョンセンに代え、サビオラを投入。そして77分、チャビ、イニエスタとつなぎ、最後はサビオラが今季初ゴール。バルサが3-1で勝利した。エトーの不在でめぐってきたチャンスを、グジョンセンとサビオラがものにした。バルサは次節、14日か15日にホームでセビージャと対戦する。
2006年10月01日
27日のUEFAチャンピオンズリーグ第2節。バルサはアウェーでベルダー・ブレーメンと対戦した。バルサのスタメンを見てまずびっくり。オレゲール、モッタが先発。強敵相手にここまで主力を温存して大丈夫かと不安になった。序盤、W・ブレーメンは速いパス回しから何度もバルサゴールに迫る。バルサは中盤の守備が全く追いついていなかった。しかし、なんとか無失点でしのぐと、14分にロナウジーニョ、18分にエトーがゴールに迫るも得点に至らず。前半は0-0で折り返す。56分、フントの右サイドからのクロスをプジョールがカットしようと足を伸ばす。これがオウンゴールとなり、W・ブレーメンが先制。64分にはエトーがパスを出した際に右足を痛め、グジョンセンと交代した。同時に、ジュリに代えメッシを投入。さらに攻撃的にいくためにチャビを入れるだろうと思ったが、82分にシウビーニョに代えザンブロッタを投入した。89分、デコのパスを受けたメッシが見事にゴールし、バルサがようやく同点に。試合はこのまま終了し、1-1で引き分けた。バルサはターンオーバーを敷いているのはわかるが、30日の相手は不調のアスレティック・ビルバオだし、W・ブレーメンほどの強敵相手のアウェーでメンバーを落とすやり方、追いつくために攻撃的にいくべきところで守備的なポジション同士の交代など、なんとも不可解な点が多かった。それと、ロナウジーニョの動きにキレがなかったのも気になる。エトーの負傷は右ひざ半月板損傷。連覇へ早くも試練がやってきた。バルサは次節は10月18日、アウェーでチェルシーと対戦する。追記エトーは半月板の接合手術を受けることになり、全治5か月となった。
2006年09月28日
24日はバルセロナの守護聖人を祭る、メルセ祭があった。午前、カタルーニャ州自治政庁とバルセロナ市役所のあるサン・ジャウマ広場に、gigantes(ヒガンテス、巨人)を見に行く。4メートルくらいあるこの人形、それぞれに1人が入って動かす。すごい大変だろうなと思う。そして、広場で華麗にダンスを披露。この後、巨人たちは街に繰り出していった。私は直後に港の近くのワイン、カバ(カタルーニャの発泡性ワイン)の試飲会に。試飲にはチケットが必要なのだが、偶然会ったスペイン人の友人にチケットをもらいラッキー。会場には多くのメーカーが出展し、気が済むまで飲めた。また、販売もしており、私も気に入った1本を購入。下の写真のタパスも販売していて、思う存分楽しめた。帰宅して少し休み、夜はカンプ・ノウでバルサvsバレンシア。この試合から割安な3試合セット券で観ることにしたが、なんと1階の前の方のコーナー付近の席。迫力はあるが、反対側がひじょうに見えづらい。あと2試合、ここか。隣の席にはアンダルシアのリゾート地、マルベージャ在住のオランダ人コンビが。なんでも観光の仕事をしていて、よくバルセロナにも来ているとのこと。また、近くには日本人の一人旅の方もいた。試合は序盤からバレンシアの右サイドを中心とした速攻がさえる。16分、ホアキンがファンブロンクホルストをおびき出し作ったスペースにミゲルが飛び込みグラウンダーのセンタリング。これにビージャが飛び込みバレンシアが先制。ビージャはバルサ相手に4シーズンで6点目、この日もバルサキラーの面目躍如だった。この後は予想通り、バレンシアは引き気味で徹底的にスペースを消す。大ブーイングを浴びながらもカニサレスを中心に時間稼ぎ。デコが再三ミドルシュートも、枠にいかない。時々バレンシアが速攻を見せ、42分のビージャのシュートはポストを叩く。前半は0-1で終了した。後半開始時、バルサはエジミウソンに代えイニエスタを投入。これがずばり当たる。48分、ロナウジーニョのクロスをエトーが落とし、空いたスペースにイニエスタが飛び込みバルサが追いついた。ここから完全にバルサがリズムをつかむが、カニサレスを中心としたバレンシアの堅い守りを崩せない。84分、バルサはこの日は完全に前をふさがれ力を出せなかったメッシに代え、サビオラを投入。サビオラにとっては2004年5月23日のサラゴサ戦以来の、バルサでのリーガ出場となった。それでもバレンシアのゴールは割れず、1-1で試合終了。これでバルサは6シーズン連続でバレンシアにカンプ・ノウで勝てず。リードされて、追いついて猛攻をしかけるも勝てないという、昨季と同じような展開の試合だった。それでも、同じく3連勝していたセビージャがアトレティコ・マドリーに敗れ、バルサは得失点差でR・マドリーとバレンシアを抑えて首位となった。バルサは次節30日、アウェーでアスレティック・ビルバオと対戦する。
2006年09月25日