4009505 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

三田のいのしし 見て歩き日記

三田のいのしし 見て歩き日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

さんだのいのしし

さんだのいのしし

カテゴリ

コメント新着

ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
青木 考@ Re:睡蓮の花とネナシカズラの話です。(09/14) ブログ主様、 (ニホン)ネナシカズラが生え…
く~ちゃん@ 心配してました 長らく更新されなかったので、心配してま…

フリーページ

お気に入りブログ

茄子を撤収👋 New! グランパ3255さん

「しろうと自然科学… しろうと自然科学者さん

山野草 則利写真館 のりちゃん4752さん
猫のひたい nemuricoさん
路上観察 タマ君1144さん

カレンダー

ニューストピックス

2010年05月11日
XML

これまで度々触れてきました夫婦のフルム-ンの旅で、秋田県の角館・青森県の弘前市の桜を満喫する企画が、この春の異常気象で完全なまでの空振りで、弘前でも訪問先を選択せざるを得なくなりました。

弘前市では、出発前から家内の頭の中には『最勝院の五重塔見物』があり、私の頭の中には、都合がつけばこの弘前八幡宮の「福井県の笏谷石」で出来た有名な狛犬など珍しい狛犬類がいろいろありそうなので、どこへいけるか不明ながら、事態に対応して取り組んでみようとおもっておりました。
いろいろな情報の中で、正直、弘前八幡宮と笏谷石狛犬がセットになって頭に残っていたわけでは有りませんが、弘前で大きなこの八幡宮にはきっといい狛犬があるだろうとおもって訪ねたのが大成功でした。

股関節に疾患のある家内にとって、北国のこの寒さはさぞ厳しいものがあるとおもいますが、決められた旅程の中、頑張ってもらいました。
25日の午前中、弘前城をもう一度歩き回った後、最勝院という真言宗のお寺と五重塔、その隣にある八坂神社とブロンズの狛犬を見て廻った後、再びJR弘前駅へ戻り、バスで弘前八幡宮へ向かいました。

弘前八幡宮
弘前八幡宮  弘愛会病院前と言うバス停でおりて、あるいておおよそ500mのところに
                 ありました。

弘前市の需要文化財に指定されている笏谷石の狛犬
弘前八幡宮の狛犬 右
阿吽の阿形・・・口をあけている。
福井県の笏谷石で造られ、北前船で運ばれた狛犬 1664年作の銘がある。
1664年(寛文4年)は徳川幕府で言えば第四代将軍 徳川家綱公の時代で、キリスト教禁教令が発布された年だそうだ。

弘前八幡宮の笏谷石の狛犬 左
二つ家屋が連なったご本殿の入り口下、屋根のある部分に設置されておりました。

たくき よしみつ氏の文・写真による『狛犬かがみ』の中で、越前かむろ(禿)と命名されていたこの狛犬を目前にして呆然自失、興奮というよりもただ歩き回ると言った有様でした。

1. ご本殿の中に安置された貴重な狛犬とばかり、思い込んでおりましたところ、ご本殿
     の一画とは言え、地面に土台を置いた形の設置だったこと。

2.  予想よりも小型だった。

3.   たくき よしみつ氏の著書を拝見すると、青白い石の肌が大変綺麗でしたが、その
       点、私の写真はすこし色が違って見えております。
    やはり元来の石の色は青白い物だと思います。
    たくき氏によりますとこの笏谷石狛犬と思われるものが、青森県内では熊野奥寺
       神社、目屋桜庭多賀神社にもあって全て寛文4年(1664)と言う年号が刻まれてい
       るそうです。    

おかっぱ頭だとして、これにかむろ(禿)を当てている たくき よしみつ氏の命名が今日定着しているかどうか不明ですが、弘前八幡宮を出て帰る際、神社のご説明文にもこの狛犬が弘前市の重要文化財に指定されている事が告げられておりましたから、地元では良く知られた存在であろうと思いました。

私も自分が撮影してきた写真の2枚を拡大して観察いたしました。
そうすると、阿吽の吽(口を閉じている)形の狛犬(ご本殿に向かって左側)の左前足の肩から足に掛けて縦に『寛文4年卯月吉日』と刻印されている事がはっきりと読めました。

屋内にあることと大変有名になってきて管理も十分にされてきた結果だと思われます。
屋外で野ざらしの狛犬さんは、苔むしたりひび割れたりで、文字や図柄が判然としないケ-スが大半です。

もう一つ、たくき氏も言及されておりますがあの有名な北前船が出羽の国から日本海を通って瀬戸内海、大阪へ米を運ばせるのに成功したのが1672年(寛文12年)なので、この狛犬の1664年(寛文4年)の古さと、公式の船便がない時代に福井県から青森県まで運ばれた事実の重みがある・・・同感ですね。

何故狛犬が普及し始め、木製から石造へシフトしていったかなど、今の私には分りませんが、たくき氏はこの狛犬に現在の石造狛犬と木製狛犬をつなぐ一つの例だとみなしているようです。

弘前八幡宮の宮司さんに御礼申し上げます。有難うございました。
十分な事前情報も無いまま訪れ、境内左側の祠にある狛犬や二宮金次郎さんの石像
拝殿などを兼ねた建物の横、庭への境界線上にありました石像物の撮影をしていた私に”どうぞ中へお入り下さい、かまいませんよ”とお声を掛けて下さいました。
その時点でもまだその奥のご本殿にあの有名な笏谷石狛犬があるなんて知らないまま頭を下げつつ入らせて頂きました。
理屈で表現すれば、はるばる関西、三田市からやってきてそのお許しが無かったならばこの笏谷石狛犬と直接対面できなかったのですから、ただただ感謝のほか有りません。
有難うございました。

また、こんな私の紹介文でもお読みいただきこの弘前八幡宮をお訪ねを企画される方がいらっしゃいましたら、この弘前八幡宮には、このほかにも貴重な狛犬があるらしいのでどうぞ事前にお調べ願います。

 

 

 

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年05月12日 10時41分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[趣味 1 こま犬の観察と写真撮影] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X