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テーマ:こま犬との出会いを楽しむ(47)
カテゴリ:趣味 1 こま犬の観察と写真撮影
2月2日(水)、三田市高齢者大学院の平成22年度の最終講座が曹洞宗心月院でありま した。 その境内の手前左を上に上った所ににあるのが熊野神社です。 今回で三度目の参拝でした。これまでに2回、狛犬の写真の写りがいまいちでしたので 三度目を試みました。 ここの狛犬さんは: 阿吽(あうん)の阿形(口を開けている形)が前足に毬を踏まえております。 阿形の写真 足に踏まえた毬 拡大 阿吽(あうん)の吽形(口を閉じている形)が子犬を踏まえている形です。 吽形の写真 普通、吽形の狛犬は口を閉じているのですが、それにしてもちょっと変わっておりますね。 石工さんや年代、生産地などで、様々な工夫がされている場合が多いので、この狛 犬もその工夫の部分がこの点にもでているのでしょうか。 足下にある子犬 拡大 (但し、形があまりはっきりしておりませんが) この狛犬の組み合わせ(毬と子犬)は、狛犬が日本に渡来した元である中国に多い 形だと思われます。 この事は、横浜の中華街のお店は店頭左右にほとんど全てのお店が狛犬を置いて おりますが、その狛犬のほとんどがこの形であることからも推測できます。 阿形の狛犬(向かって右側) 吽形の狛犬(向かって左側) 私自身、この子犬を仰向けにして足で踏まえた形が何を祈って造られた形か理解で きておりませんが、しっかりした謂れがあるものと思われます。 閑話休題(今もこの言葉が流行っているらしい) 熊野神社の狛犬は 設置年代 平成14年 と彫り込まれております。 比較的新しいので、苔があまり生えておらずわかりやすい姿です。 なお、このお社は大変小さな姿でしたが、盛り塩も新しくて地元の信仰 を集めているものと思われました。 文政年間(1818~1829年)の坐像 (伊能忠敬が大日本沿海全図完成、シ-ボルト来日がこの頃であり、昨年話題を独占し た坂本龍馬、中岡新太郎が暗殺されたのが、1867年慶応3年でした。)
三田九鬼藩36000石で、町奉行白洲退蔵が財政を、小寺氏が政治面を担当して藩の運 営にあたったらしいが、この坐像の方がどのような方か注目されます。 取敢えず、この坐像の主が何方であるか不明ですので、今後地元の方にお尋ねしてみる つもりです。 ともかく、平成年代になっても狛犬を新設するくらいですから、地元を大切にされる方々の お気持ちは居間につながっていると感じました。 この坐像もそのお気持ちの根元のひとつかもしれませんね。 稿を替えて書きますが、ここの神社の軒先にある彫刻 (象) は御霊神社、大歳神社 三田天満神社などにもありますが、なにゆえに日本の神社にこのようなちょうこくがあるの か不思議です。 この点もまた調べてみたい項目であります。 さまざまな点で知らないことがたたありますので、お気づきの方は恐縮ながらご教示 賜りたくよろしくお願い申し上げます。
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