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三田のいのしし 見て歩き日記

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2015年01月10日
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1月9日(金) 雨模様

このところずっと天気が悪くて、この日も雨模様だったが、三田町にある三田戎神社に詣でました。

8632歩 約6.6km

私の感ではこの距離はかなり真実味があると思った。

杉が丘町の側道沿いにあるお宅のキノコ(しいたけ)
しいたけ

シイタケ栽培は普通3本とか数本を組み合わせて、幾分日陰になるような樹間に置かれるのが

普通ですが、このように道路から庭に向かう場所で立派にキノコが育っていた。

私も一度はトライしてみたい。(農家の父親が昔竹林の中で沢山シイタケ栽培をし、菌を原木へ

打ち込む手伝いをしていたので、幾分りかいがある)

中央町で出合ったマンホ-ル蓋
三田のマンホ-ル蓋
この日のお昼から4chのニュ-ス・報道番組で、女性の間で彩色されたマンホ-ルの人気が

高まって
いる事を実例を持って報道していたので刺激を受けた。

その中でもご紹介のあった大阪市のマンホ-ル蓋
大阪マンホ-ル蓋【】
この蓋はかなり人気が高いので様々な場面で紹介されてます。

是非興味を持ってもらいたい分野でもありますので、この日三田戎神社への参詣の途中でも

再三撮影済みながらマンホ-ル蓋を撮りました。

尚、案外ご存知が無いのがマンホ-ル蓋が円形であること。災害などで外れても絶対に落ち

込まないのが円形だから。但し吹き上げられて外れたら穴に落ちる危険なことに変わりはない。

三田戎神社の風景

幟旗
幟旗

三田戎神社の入り口
戎神社の入り口

祭壇
祭壇
戎さんへ カメラを向けてごめんなさい、すみません。

手洗い場のえびすさんの笑顔
笑顔

うっかりしてお賽銭も持たず、バス券も無しのまるっきりウオ-キングに徹したスタイルだったので

神社の中で控えておられたお巫女さん達に丁寧にお詫びしながら参詣と撮影でした。

家族の安寧を祈りました

        この三田戎神社の発祥?

        石の灯篭
        石灯篭
        神社の説明によると確かな資料はないらしいが、この石灯篭に安政6年(1859)の刻印

        があるので
少なくともその頃にはあったのだろうとのこと(由緒書き)。

        由緒書きの立札?
        由緒


けっこう雨が降るのに傘も無し、小銭もバス券もないまま約3km余りを歩いて帰るのは

かなり気が重かったが仕方がない。

JR三田駅を横目に見ながら三輪の交差点を目指してひとまず歩き出した。

そこでこの界隈で最も歴史があり、大きい三輪神社に立ち寄ることにした。

        三輪神社の参道
        参道
        かなり古い神社で、奈良の大神神社の系列だろうか国の歴史と繋がっている。

        この門前町と思われる町並みが今も続き、武庫川縁まで見られる。

        雨が止まないので石段をあがって参詣は気が重くなり、国道沿いにある明神鳥居

        {平成7年(1995年) 7月に再建された}  を撮影して帰った。  

        その前に2013.10.13 秋の大祭で鳥居をくぐる「ふとん太鼓」
        鳥居をくぐるふとん太鼓

       この鳥居の左側に掘りこまれている文字
       鳥居の一部1995年6月再建
      

       この鳥居が元禄14年(1701)に創建されたものであったことが分かる。

       再建の文字の下に「元禄14辛己年建立」の鳥居の再建が記録されている。

       尚、辛巳はかのとみと読み、金弟巳で、十干十二支の組み合わせから言えば18番目

       に相当、当時の方々は元禄14辛巳と書けば、かのとみとよみ年代も理解できたと

       思われます。ともかく1701年建立の鳥居を撮影出来てないのが残念です。

       元禄14年は5代将軍綱吉公の時代で、赤穂藩主が高家の吉良上野に切りかかり

        切腹させられた年でもあります。

        とも角、この歴史のある神社の何代目かの鳥居が元禄14年に建立されたことが

        分かるだけでも意味があるように思います。

この後はひたすら歩き我が家を目指しました。

        この日の歩数 8632歩 
  
        距離推測    6.6km

 


  







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最終更新日  2015年01月11日 10時47分20秒
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