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三田のいのしし 見て歩き日記

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2015年01月27日
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1月21日(水) 

ふと思いついて武庫川の左岸にある農道を県道へ向けて歩いてみた。

武庫川から約300m、
県道から見て5,60m、県道に寄った所に大きな民家がある。

そこに武庫川から農道を歩いてきて見ると、一見、 お地蔵さんの御堂を閉鎖したかに見える

四角い建物があった。
やがて県道側に来てみてわかった。建物の背中だった。

前へに廻ったら「さむらい地蔵尊」と書かれていたお地蔵さん。
さむらい地蔵の遠望
県道側へ来て、振り返った形での写真、前方が武庫川。

正直、虚を突かれた感じでしたが、すぐに気が付いた。今の県道や県道とこの民家の間には

近年まで武庫川が流れていたことを。ここにも古道があったかもしれない。

さむらい地蔵
さむらい地蔵
2体のお地蔵さんが並んでいて、右側の背後にさむらい地蔵の御札があった。

この写真を観て気が付いた。基礎のブロックは極めて新しい。

さむらい地蔵 近影
さむらい地蔵近影
御札を拝見すると、左に東地蔵菩薩、右にさむらい地蔵菩薩と書かれていた。

何時ここにに移されたのか、写真背後のお宅の方にお聞きできる機会が楽しみです。

あるいは2か所のお地蔵堂を1か所に合祀したのかもしらない。

このお地蔵さんから歩いて今の県道を跨ぎ、南側に歩くと先日ご紹介させてもらった深田の

五大力菩薩がある。

その左横を三田市内の方向に向かって少し歩いて車道にいたるとお地蔵さんがある。

典型的な道端のお地蔵さん、下深田のお堂
下深田の御堂

そのお地蔵さん 3体
下深田のお地蔵さん
首から上の無い1体までお祀りされていて、大事にされていることが分かる。

ここは隣りの吉川町方面に通じる道路と五大力大菩薩に通じる道路(小道)の角にある。

昔の歌に「村のはずれのお地蔵さんはいつもニコニコ見てござる・・・・・・」の1節がある。

ここに設置された意味も考えていたが、コンクリ-トの基礎をみても武庫川とそれにつながる

河川の大改修がこの前を走る車道まで大幅に改修も考えられる。

いつかこの辺りにお住まいの方に道路の改変やお地蔵さんの移設の有無などをきいてみたい。

ともかく、元へ戻って川除のお地蔵さんも今回、たまたま、思い付きでこの農道を歩いたので

出合うことが出来たが、そうでもないと全く知らないままだったかもしれない。

◆ ◎ ☆

この三田には「大原荘園町」と呼ばれる町名が現存していることで示される通り奈良、平安時代

貴族などの荘園だった歴史がる地域なので、お地蔵さんも全地域に分布している事だろう。また、

三田市と篠山市の境にある藍本はまた武庫川の船着き場であり、宿場町であった。

応永2年1395年(乙亥) 建立の鳥居 酒滴神社 今から620年前
鳥居
前方の山際に酒滴神社が在り、街がある。 (鳥居の石材は宝塚市)

この藍本と三田の間、街道沿いにも点々とお地蔵さんが見られた事でしょうね。

さて、下深田のお地蔵さんも写真でもお分かりの通り、いまでもお祀りされております。

次は、日の出地蔵 三田 小高い丘の上にあります。

地蔵堂と付近の景色
日のd地蔵の御堂

日の出地蔵
日の出地蔵・室内
真ん中は右手は印を結び、左手には数珠を持っている。左右は錫杖と如意宝珠を持っている。

御詠歌
御詠歌
御詠歌 「合わす手に心のやみはきえさりて日の出地蔵をおがむうれしさ」

この写真を撮影した時、信者の主婦がお堂の中の清掃とお供えを熱心に行っていた。

終わるまで待って撮影したことでした。

今もお地蔵さんと皆さんは生き生きと繋がっている証拠です。

この日の出地蔵は小高い丘にあって大歳神社(昔、三田天満神社に合祀されている)と

その境内が今も存続していてそこに繋がっている、

安政年間に据え付けられた狛犬もそのまま残されている。

時の政権の手で三田天満神社に合祀されている大歳神社も実際はそのまま維持されていて

地元の方々の崇拝はそのままではないかと思われます。

また境内には公会堂もあり、お稲荷さんもあってこの地区の中心的存在だと思われます。

◆ ◎ ☆

この日の出地蔵のある小高い丘を下り、京口(南ヶ丘1丁目1番地)に戻ると、お堂があり

道しるべがある。(虫尾バス停に見られる道しるべ「左花山院」もその一つ)

道しるべ
道しるべ
そこに刻まれている道しるべの文字
      左 神戸有馬大坂
                道
      右 はりま三木

南ヶ丘1丁目一番地のお地蔵さん
延命地蔵
延命地蔵

この東側が京口と呼ばれるところであり、お地蔵さんの場所は三叉路の角です。

上の写真の道しるべなどの写真をみても改修の跡があり、厳密な意味でこの場所にあった

とは言えないかもしれませんが、この付近に道しるべが在り、お地蔵さんも建てられていた

と思われます。

今回は、江戸時代などの街道沿いなどに絡むお地蔵さんを取り上げましたが、このブログを

書いている内に厳密な意味ではその場所になかったかもしれないので、その辺を古老などに

お聞きできればそこに思わぬ歴史と物語があるかもしれない。

そんな感想もうまれましたが、その聞き取りはすぐにはできません。

ともかく、移設、改修はされていてもおおむね熱心な信仰が守られているお地蔵さんだと

感じました。

新地の北向き地蔵や一乗寺南地蔵、正覚寺境内の地蔵さん、あるいは墓地の「六地蔵」

などは別途まとめたいと思います。

 






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最終更新日  2015年01月29日 07時16分47秒
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