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テーマ:暮らしを楽しむ(388284)
カテゴリ:ウオ-キング・ジョギングと散歩
国道176号線沿いにある大原城址 戦国時代以前はそれなりの土を盛り上げ、空堀を造り戦略性の向上に努めたとか。 やはり織田信長公が出現するまでは、「城」とは土で成すと言う字で成り立っているわけで、昔は 大なり小なり土を掻き揚げて防ぎょ壁とし、出来上がったのが「城」だったそうです。 ◆ 武庫川から我が家への帰り道、登り坂の左手にこの大きな構えの民家があり、いつも感心します。 全体の構え 事と思います。 三田のこの形式の居宅はこのお宅も含めてほぼ妻入りです。 茅葺の入母屋造り妻入りの家は、この三田市と言えども観光の対象になるような家はあまり お母屋の左右に土蔵造りの倉庫、納屋などを構えた造りは、昔の我が家などもそうでしたが 昔はごく普通の構えであったかと思いますが、現在もこのような構えであって、したから坂道を 登りながら眺めた時、いつも立派だなあ・・・と感心して歩いております。 入母屋造りの妻面 屋根の下 ここの妻面の事はさておき、先日天神町でであった空家で見た妻面 この大きなお屋敷は今は廃屋の感じ、この部分も壊れたままだろうと推測。 お寺ではここに懸魚が在るのが普通 江戸時代、少なくとも江戸時代には武家や社寺?など許されたところしか懸魚を掛けることは 許されていなかった。民家では苗字帯刀が許された特定の豪農など例外もあるそうだ。 裏側、中庭側にはこの例に似た水とか、なにか火事よけが掛けられているらしい。 ともかくこの大原地区は入母屋造り妻入りの民家が多い。 このお宅の如く大原城址に面した少し窪地からせりあがった、まるで舞台みたいな場所に 居宅があるお宅の下を感心しながら歩いております。 参考までに:
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最終更新日
2015年02月09日 19時43分46秒
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