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テーマ:暮らしを楽しむ(388266)
カテゴリ:ウオ-キング・ジョギングと散歩
この日も寒し結構風もあったが9時半ごろから2時間で帰宅と考えて、武庫川の上流へ向かい 歩いた。結論を先に書くと12700歩、概算10kmだろう。 ◎ ◆ 19日ほどではないが風があるし寒いが、もっと寒いのがこの地域の気候の例なので、其の内 慣れることだろう。 大歳神社 大原の山すそ 割烹料亭”がんこ”の地続き 謂れが示されている掲示板が境内の建てられており、創建の頃には有馬郡の北部はこの 大歳神社が各集落に鎮座と伝えられている。ここはその中で残ったお社と思われる。 阿形狛犬 向かって顔を向ける様式があるとされている。 この狛犬も狛犬の研究家上杉千郷氏が示唆されている短足型―関西型」の1例で、三輪神社や 篠山の春日神社、御霊神社のそれと同じ形かもしれない。 神社に狛犬が普及したのはたぶん江戸時代からの事だろうが、その当時大阪の石工により この形が量産されたのかもしれない。 狛犬の頭部 その尾部 この尾部もその当時当時により流行がありそうだ。 ◎ ◆ 〇 ここで割烹料亭”がんこ”の名前を出したのは、ここで写真は示さないがこの地方の豪農、 地名も大原一族の祖先がこの地方を領有したことで生まれたのかもしれない。 そんな大きな屋敷が昔から在りその傍に神社が鎮座している雰囲気に気が付く。 しかしながら、この地域には三田固有とされている妻入りの民家で、背の高い塀に 囲まれたお宅が多いので、大きな大原家とその他の民家がどのような付き合いで暮らして きたのか、その辺もこれから調べる楽しみが残されている。 ◎ ◆ ここから歩いて左へ曲がりながら下ると5,600mで国道179号線の交差点にでる。 渡るとロイヤルホ-ムセンタ-になる。 ここは昔 神姫バスの駐車場だった。 ホ-ムセンタ-へちょっと寄って、A4洋形封筒30枚ワンセットの価格を調べてから、三田 工業団地へ向かった。 この地方としてはかなり巨大な面積の団地で、様々な企業が進出していたが、ご多聞に漏れず さらに国内外へのジャンプがあり、現在では学校やパチンコ店、駐車場など様々な企業、 団体が事業を営んでいる。葬儀を行う企業も進出でこれからも変化しそうだ。 クロネコヤマトもここにあり、我が家もかなりの頻度で利用させてもらっている。 ともかく今日はその工業団地の外側、山側を歩き、陸橋からJR新三田駅の構内から田んぼ に出て右に曲がり、左に折れて(福島)大池川に出て左折し右折して上流に歩いた。 ◎ ◆ 〇 突き止めてはいないが、この辺も三田九鬼藩が三代将軍家光公の命令で三重県から移封され 入部した頃は一つの集落、例えば福島村と言った存在であり、いくつかのお寺と神社が存在 したそうだ。 それが九鬼藩の治世で、大部分が整理されたり、或いは統合されてその姿が失われてしまった そんな歴史が息づいている地域だそうだ。 福島大池がこの上流にあり、その豊かな水が比較的平坦でかつ適度な流れが生まれるこの地域 を豊かなものにした歴史の所産らしい。 江戸時代は住民を統括するのにお寺さんを活用し、神社をその傘下に敷き、別当と言われる 制度で統括した歴史がある。 先述の大歳神社の掲示板にもこの福島にあるお寺が別当であったと明記している。 住民にひそむ「神社がお寺に従うくやしさ」みたいな心理が示されたのがこの掲示板の 言葉の意味ではないだろうか。 「・・・・・当神社の別当は福島村の世応山普門寺であった・・・」 江戸時代は神社のお祭りでも神主とお坊さんが並んでお祭りをするという習慣だったらしい ◎ ◆ ともかく江戸時代は意外にも沢山の住人が旅をしたが、其の旅手形には必ず宗門を証明 する事が明記されていたが神社名などは無かった。 裏返すとその領内のいずれかのお寺さんに所属しない限り、一歩も外へ出られない仕組み で、住民を支配したらしい。(三田市高齢者大学で学んだ事) 今は何事もないように見えますがそんな歴史がある地帯でした。 ◎ ◆ 〇 あまりにも長くなったので、この日のウオ-キングのご報告はここまでで一先ず纏めたい。 尚、このウオ-キングコ-スとは関係は無いが、九鬼藩が行った住民のへの統制の一つと してお寺の整理集中がある。 その名残が三田町にあり、数多くのお寺さんが細い路地を挟んで、或いは並んで今も 存在している。 勿論この政策は三田の九鬼藩だけの事ではなくて、全国でその例を見るようです。 神社でもその例を免れることはできなかったかもしれません。 ◎ ◆ 〇
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最終更新日
2016年01月27日 07時18分30秒
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