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テーマ:暮らしを楽しむ(388271)
カテゴリ:ウオ-キング・ジョギングと散歩
昨年の春先、大原の武庫川よりの田んぼで、足の長い「ケリ」と言う鳥を初めて見た。 ◆ 〇 この野鳥のケリはむしろ貴志地区に多いということを御霊神社境内を清掃の為に奉仕に さまざまな出合いがあるこの地域で、26日は御霊神社のおさらいになった。 御霊神社・貴志の本殿 延文元年(1466)焼失、文明2年(1470)再建 応仁の乱(146年 始まる)で全国的に戦乱が波及して不安定な国情の中で再建されている。 その向拝上の蟇股(かえるまた)に種子キヤとその周りの彫り物がある 武庫川の対岸にある大原の大歳神社(1510年再建)の近くには大原城があり、貴志には が、お寺が栄えて神社もその傘下に収めた形が普及して長かったので、その形として 本殿の向拝に種子のキヤ(十一面観音)が彫り込まれて今日まで残ることになった。 具体的には、この神社の近くには金性院と呼ばれるお寺があり御霊神社の別当であったらしい。 明治2年に廃寺になったので、今わそのかかわりを知る人はごくわずかなようです。 ◆ 〇 境内から見た貴志御霊神社。 この日は久しぶりにご本殿のある敷地を訪れてご本殿を撮影した。
ご本殿(身舎、ミヤと読むらしい)正面に彫り込まれている神仏習合の例が此処に見られる。 種子(シュジ)の一つ、「キヤ 十一面観音」が彫り込まれている姿を撮影した。 観音像を思い浮かべられたのか、この文字キヤですべてご理解されたのかわかりません が、こんな小さな彫り物であっても”仏さま”として相当意識されたものと思われます。 ◆ 〇 ◎ さて: 現在のわれわれにとって仏教の信仰対象の一つである「種子 シュジ」は、なかなか理解 が出来ないものの一つです。 ともかくこの写真のような彫り物については馴染めないのが正直なところです。 しかし、中世の社会では例えば: 弥陀三尊種子板碑 アミダサンソンシュジイタヒ 元来、塔婆であることから種子を表す梵字が彫り込まれている(興福寺レポ-ト) 三田市内では木器の興福寺に一尊(阿弥陀)種子板碑と共に存在する。 興福寺の墓地にこの板碑2基が並んでみられる。 可なり硬い石に彫り込まれているので、消滅しないので長く維持できている。 ともかく貴族や武士、豪農などハイクラスの方々にとっては仏教が信仰の対象であり、 また、 平安時代、鎌倉、室町を経て戦国時代と次第に現代に近づくに従って、神仏習合が進み ものと思われます。 この意味で、この御霊神社の種子キヤの彫刻は貴重な存在だと感じます。 改めて 貴志御霊神社の種子キヤの彫り物 上掲の筆書きの形とよく似ております。 今となっては地味な存在ですが、大変貴重な彫り物だと思われます。 大昔から仏教の台頭に悩んだ神様やその信徒は、この種子キヤの彫り物は或いは 悩みの種だったかもしれませんが、そこは別当である金性院が傍に存在するので 複雑な気持ちで付き合って来た、それが歴史であった。 ◆ 〇 ◎ 「別 当」 この神社で特に惹かれるのは上掲の種子キヤの彫り物と拝殿のある境内に設置されている 灯篭を寄贈されたお寺、別当の寺「金性院」が担った別当の事です。 別当とは何か 特に現代に見られる市町村役場の役割を背負わされたお寺の仕事と住民の気持ち など、どんどん疑問がわいてきます。ほとんどの方が別当の事はご存じないと思います。 ここでも(この神社の別当であった)明治2年(1869年)この金性院(読み不明)が ◆ 〇 ◎ 私は歴史が好きですからこんな中世の仏教的遺跡の事にも多いに興味がわき、ウオ-キング の観察事項として、野草や狛犬、鳥居など共に親しんでおりますが地元の方も普段このよう な遺物にあまり興味を示されないので遺跡の維持はなかなか難しいことだろう。 ◎ ◆ 〇 次回までに日本における別当について、インタ-ネット検索などで別当、別当寺について
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