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三田のいのしし 見て歩き日記

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2017年06月18日
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6月11日 日曜日 午前 その二

その一  我が家から三田町 信楽の焼き物”狸の置物” まで

           三輪神社で常夜燈を撮影して、擬宝珠というより宝珠などにからむ情報に接して、だいぶ

           その勉強に汗をかきました。

           擬宝珠

           

その二 主として大歳神社の常夜燈と狛犬に見える刻印についてのご紹介です。

            特に二つの狛犬の置物の内、安政四丁巳(ヒノトミまたはテイシ)八月と言う刻印に

            ついていろいろ考えます。

            西暦で1857年、干支で57番目なんですが。また、瀬戸内沿岸を大暴風が襲うとある。

さて

武庫川の左岸、三田町を南ヶ丘に向かって歩いている。背中には返還の本6冊とカメラのレンズ

など合計で約10kgを背負っているがあまり気にならないくらい慣れている。

 街角にツタバウンランの小さな一群れ

   「」

   寺町の異名があると私は「思い込んでいるが」、この街には四つの寺がある。

   最初に、「詩人三好達治さんが幼少のころここで過ごした」と案内が建つ

   日蓮宗妙三寺

    

   少し歩くと、左に正覚寺の案内が見え細い道の先にある(かつて何度か訪問済み)。今回は

   通過。

 次は、浄土宗の西方寺であるが、その間にお蕎麦屋さんがある。

   お蕎麦屋さんの掛札 ”そば”

    

   道の左右にお店が無いので、よくぞこのお蕎麦屋さんが続くものだと感心して通過した。

   大変失礼ながら、昔からここを通過する度に、こんなに宣伝をしないお店ではやっている

 のかちょっと考えるが、いつも同じ風情であるので、きっと美味しい店なんだろう。

   一度昼ご飯時に通過して食べてみたい。

   西方寺のたたずまい

   

   この街には光明寺と呼ばれる寺もあるが、道から少し離れているので寄らなかった。

    例年この街かどで「ヨウシュヤマゴウボウ」の1株とその花を見る。

   

   この帰化植物も市内の思いがけない場所で出合います。今年も咲いていた。ヤマゴボウは食べ

   れるが、こちらは毒草なのでこの付近の皆様がどのような気持ちで受け入れている事やら。

南ヶ丘の街のたたずまいをほとんど知らないのでご紹介できないのが残念ですが、今、向かって

いる大歳神社は武庫川沿いの町々から言えば坂上にあり、小高い丘の頂に見える。

   大歳神社の入り口の坂の横に立つ、向って左側の石灯籠

   常夜燈 全

   

    常夜燈 写真の面の内、左は「献燈」 右側は九月吉日の文字が見える。

   奉納の年代の刻印 四面の内の一面

   

   文化八辛未(カノトヒツジ、又はシンビ)年、 西暦1811年で干支の11番目でした。

   ※ 最近、石灯篭に刻印された文字の内、奉納の年代について関心を持ち、神社やお寺さんを

         訪問の際は出来るだけ拝見しておりますが、二通りあって

         (1)年号と年、それに十二支の一つを刻印 

                 例 熊野神社 常夜燈の刻印 文政七年申 十一月吉日 干支では甲申ですが。
       (2)この大歳神社の常夜燈の如く十干十二支をきちんと刻印する。

                 安政四丁巳八月(ヒノトミ)このように干支をそのまま彫り込む例も多そうです。

         今のように西暦2017年という通し年号があれば、時代の特定が簡単ですが、干支では、

         似ている文字もあり、誤記も多いとネット検索でも教えられた。

    四面の内の二面目

    

    九月吉日  勿論陰暦ですから今の10月頃だろう。

    尚、大概二基が道の両側に向かい合う形が通例ですが、この神社に関してはその点確かめず

    通過したのが反省点です。

    江戸時代は幕府の命令で仏教が神社を管理したので、この神社の場合も今一基の側面にその

    名前が奉納者の一人として刻印されていたかもしれない。

  

    常に漢字で刻印されているものの、理解しやすい。

    四面の内、一面が常夜燈、残りの一面が奉納者の名前を読み取ることが出来る。

境内に入った。広場から一段上に神社と狛犬、また個々の場合、稲荷神社が併設されている。

   石の階段を登るとその両側に狛犬がある。

   阿  形

     

  神社側からの写真です。阿形狛犬は境内の広場から見て右側にあるのが通例です。

  吽形狛犬

   

  この狛犬の基壇に彫り込まれた文字が下の写真です。

  その基壇の部分に奉納年代が刻印されていた。(お宮に向かって左側の狛犬で撮影)

  

   私の様な素人でも読み取ることが出来る。「安政四丁己八月」 右から左に向かって読む。

   安政四丁巳(ヒノトミ又はテイシ)八月(西暦1857年 干支で57番目です)のはずですが。
  
   尚、この狛犬に関しては、三田市が発行した「三田の狛犬(上)(下)」にもその年代が

   記録されている。

   三田 大歳神社 写真を示し、その下に 「安政四丁巳八月」 と印刷されている。

   たぶん狛犬に刻印された文字が十干の「己」読みはキであるものの、歴史的な背景経緯が把握
   できないので安政四年の正しい干支を印刷して
資料とされたのではないでしょうか。

   ◆ ◎ ▲

   市内では、狛犬ではありませんが、「元禄14辛己」の刻印に出合いました。写真などの例示

   は軽々には出来ませんが、甲と申、戊と戌、己と巳など誤った例が多いとの情報がネット検索

   で見られました。どれ一つとして断定はできませんが、悩ましい情報です。

  

   さて:
   この大歳神社の横を通り抜けるとお地蔵堂がある。

   

   いつも熱心な信者がいて、奉納も欠かさない風情がみてとれますが、江戸時代以前はお地蔵

   さんは村の境に立っていたようですので、この丘の頂から違ったかもしれない。

私はお地蔵堂の横から歩き、突き当りの道を左に取り、歩き続けて図書館に無事に到着した。

途中の土手道に「赤花夕化粧」の株がかなり大量に生えていて、感心した。 


帰りはJR三田駅前行きのバスに乗る事にして図書館前のバス停に向かった。

   その道の右側の町筋に沖縄のシ-サ-と石敢當(イシガントウ)を見つけた。

   シ-サ-

   

   石敢當 家の無事を祈る沖縄の風習だろう。

  

  真ん中の下にシ-サ-が居て、右に石敢當が見える。

  日本で言えば、家内安全のお札を柱に張り付ける習慣と同じような意味合いかもしれない。

  ここに沖縄料理のお店があり、その雰囲気づくりに設置されたのかもしれませんが推測の

  範囲です。

 

JR三田駅経由で兵庫中央病院前(北)でおりそこから下り道を家に向かった。

その友が丘との境に階段の右側には友が丘の緑の会などの御働きであろう「アジサイ」が

花期を迎えつつあった。

   アジサイ

    

   これから勢いを増すヤマノイモのつる。 

    

   雌雄異株の植物なのでこの蔓が雄かメスかわからない。 
   つる性植物の観察の時期が過ぎて忘れた頃に子の小路を通過すると、垣根の鉄柵に雌の花が

   其処にも此処にも・・・の感じで沢山あったことを思い出しました。
   つまり、だれも食べませんが「ヤマノイモ」がその辺の土の下に沢山ありそうだった。

   友が丘: ワルナスビの花に出合った。

    

   一時期青野川の流域でJR新三田の車庫付近の土手で猛威を振るうかのように見え、武庫川では

   トウカンマンション前からやや下流の樋門のある場所、並びに対岸の土手道付近にワルナスビ

   の群れが見えましたが、この頃ではあまり気になりません。やや減少かもしれません。

 お昼の12時前に我が家に無事辿り着いた。

   タチアオイの花

      
  

◎ ▲ ×

余談ながら:

久しぶりにしろうと自然科学者さんのブルグへ遊びに行きました。

この日は、つる植物の珍しい例のご紹介でしたが、気が付けば輪が三田市内の山野、田園など

つる性植物の姿がしっかり見られます。

このブログも徐々につる性植物の観察に時間を移しそのお知らせてと、取り残しのハマハナセ

ンブリやキウイの花とその実などを織り交ぜていきたいものです。

尚、蛇足ながら干支で生まれた年と書きますと

   昭和10乙亥5月の生まれです。 西暦で言えば1935年になります。

又、藍野の酒滴神社の石製鳥居は兵庫県下で最古の鳥居ですが

   西暦は1395年ですが、この年も干支では乙亥で、10回目が600年経過で1995年であの地震

   の年です。

   私にとっては1回転でいわゆる還暦などが云々される60年に相当しました。 






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最終更新日  2017年06月18日 15時13分48秒
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