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三田のいのしし 見て歩き日記

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2018年02月10日
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2018年2月2日(金)晴れ

兵庫中央病院の構内を横切り、上野郵便局にてはがきを2通投函。

久しぶりに「上野の辻」へ向かった。

しいて目的と言えば、すばやく歩いて脚力の鍛錬と途中で野鳥に出合う事だった。

83歳目前の今の体力で言えば、可能な限り早く歩いた。

さて

県道の三輪-後川(篠山市)線を突っ切り進むと左側は「三田ゴルフクラブ」です。

上野の辻(四差路)までゴルフ場の敷地で、右側は林が多くて、所々に人家がある。

ここでは何も特記事項ナシ

上野の辻 : 左 羽束山、能勢方面 右三輪神社経由市内へ戻るの昔の往還だ


県道から1kmあまりか、歩くとこの四つ辻につく。

花山院や永沢寺などに向かう道と羽束山や木器、小柿などを経て能勢などに向かう道が分かれる

重要な三叉路だったと思われます。
この台地は昔は「上野が原」と呼ばれて、明治2年(1869)「三田一揆」と呼ばれる大がかりな
一揆の舞台であったらしい。


上野の辻は昔の三田を知る貴重な情報源がこんな形で見られる。
そのそれぞれについて掲示板をつける、地面の手入れなど工夫をお願いできないものだろうか。

地元の方々のみならず多くの方々が楽しむ値打ちがあるはずです。

今は四叉路になっている。

ここを右折して、三田古窯で有名な窯跡が記念施設になっている地点を右に見ながら急坂をひた

すら下った

その左側は足元に羊歯が茂る孟宗竹の林がかなりの長さで続いている。

そこで、急に小鳥がチラチラ飛び、地面や竹の切り株へ移動していたが逃げることも無かった。


ファインダ-を覗いた見て、たぶん「ルリビタキ」のメス鳥だとすぐに気が付き嬉しくなった。

上面がオリ-ブ褐色で、脇が橙色と野鳥大図鑑で形容されている情報にマッチしていた。



ブログで2月3日付でアップを予定している「ルリビタキ」では、おおよそ「ルリビタキ」のメス

と分かる写真であったが、この野鳥はオリ-ブ褐色の上面と腋の橙色が判断の基準になっていた

どうやら今回の出合いでその脇の橙色がしっかり見えるポ-ズの写真が撮れた。


尾のブル-もよくわかる止まり方も見られた。

ここまで確かめることが出来たので、あとは綺麗な雄鳥の出合いがますます待たれることと
なった。夏に亜高山とやらで繁殖するらしいので冬のこの時期にメス鳥の傍にオスがいる

とい必然性みたいなものは無いのかもしれない。

有馬富士公園のセンタ-に掲示されている観察の専門家の写真で雄鳥で出合えるかどうか-

調べてみよう。

三田古窯の記念館的な施設の場所まで来た時、やはり左側の浅い窪地の木にモズが1羽見えた。




この窪地と三輪神社のある山の間には、数軒人家が立っているが、溜池や農地などもあり、
前方の丘には何があるか分ら無いものの、小鳥が数羽忙しく飛び交い移動している風情だった

モズもこの小鳥が狙いかもしてないと思いながら歩いた事だった。

坂を下ったところが三輪神社でさらに100mも歩けば国道176号線と県道の三輪-後川線です。

三輪神社に参詣した後、例によってその唐破風に見える懸魚や木組みを観察してみた

 唐破風の屋根・部分

  
   拝殿に当る部分が唐破風になっている。(正確にその建て方の説明はできないが)

  その唐破風部分に懸る懸魚

  
   多分かぶら懸魚であろう。

   その唐破風の屋根を支える木組みが、ここでは及川と呼ばれる形だと思われます。

  

   大瓶束(ダイビンヅカ)の横に彫刻物が付いた物を「笈形」オイガタと呼ぶらしい。

   笈形

  
   斗拱と呼ばれる建築様式があって、その内の斗は「ます」で一升枡などの枡の意味らしい。
   この「笈形」の上の白い塗り物が斗に見えますが、これも含めて瓶束、付属の彫刻がついて

   笈形かもしれません。その辺は勉強中です。    

正確な情報があるわけではないが、日本の昔の建物はほぼ「くぎを使わない」建物であり、
言わば「はめ込み」や「縄で縛る」など、或いはまた「木栓」で揺らぎ、ずれを防ぐなどの

工夫で満ちているように思います。

この大瓶束(付属の飾り物がつくと笈形と呼ばれる)もその一つだろう。
梁と梁の間を支える柱を「瓶」の形で支えております。

参考資料

HP 「斗拱・蟇股・木鼻」のお話

参考物件

奈良。薬師寺の建物に見る「瓶束」(ビンヅカ)


薬師寺へご参拝の際はこのような屋根裏が拝見できる建物では、その部分にも目を向けると
楽しい観察ができると思います。

様々な工夫に驚かされます。
この写真の建物は薬師寺や五重塔そのものではなくて仁王門など付属の建物の屋根の
部分かもしれません

大瓶束の上には斗栱が乗っかっておりますね。素人の表現ですが近年まで建物にくぎを使う

工法が無い時代に発達した木組みの一つではないでしょうか。

仏教の建築物ですからその多くの仕組みは中国からの伝来らしい。

来迎寺(ライコウジ)の造作のいくつかについては、次のブログに別途記載を予定しております。

   海老虹梁など軒下に見る造作

   宝篋印塔とその印象

   お地蔵様と初めて出合った石造など

  

   来迎寺と言うお寺の言葉そのものの歴史的意味とは・・・ネット検索で学んだこと。

   7世紀に創建された一国一国分寺と同じ時代に一郡一来迎寺の創建が始まったらしい。

◎ ◆ 〇

  

  






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最終更新日  2018年02月10日 06時32分04秒
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